無詠唱の大賢者
旅の魔術師セルジュ・カーミルは、焚き火の前でぼやいた。
「暑いな」
その瞬間、空中に氷の塊が現れ、鍋へ落ちた。
仲間たちが立ち上がった。
「無詠唱魔法!」
セルジュも立ち上がった。
「今のは、ほんの独り言だ」
「独り言で氷を?」
「大賢者は言葉と魔法の境目がないらしい」
実際、セルジュにも分からなかった。だが分からない時ほど、深くうなずけば賢者らしく見える。
夜道で彼が「暗い」と言うと光球が浮かび、「風が欲しい」と言うと涼風が吹いた。
剣士ノエマは感動した。
「生活感のある詠唱ですね」
「魔法は日常に宿る」
「では『お腹がすいた』と言えば料理が?」
「高位魔法にも限界はある」
「急に現実的」
町へ着くころには、セルジュは〈口を開けば奇跡を起こす者〉と呼ばれていた。魔術学院の試験官までやって来る。
「無詠唱を証明してください」
「証明するまでもない」
「では何か言って」
「何か」
何も起きない。
試験官が眉を上げる。
「不発ですか」
「魔法にも文脈がある」
「では文脈を」
セルジュは汗をかいた。
「ここは少し、暑いな」
天井から氷柱が落ち、試験官の机を真っ二つにした。
歓声が上がった。
「すごい! 感情と自然現象が直結している!」
「俺が本気で怒れば山が消える」
「今、怒ってみてください」
「山に罪はない」
「なんと慈悲深い」
試験は公開講義へ変わった。学生たちはセルジュの一言一言を書き留める。
「魔力を出す感覚は?」
「腹の底から」
「具体的には?」
「言葉にしづらい」
「言葉にした瞬間、魔法が出ますものね」
「そう、それだ」
セルジュが「喉が渇いた」と言うと、水の玉が飛んできて口へ入った。完璧だった。
その時、彼のフードの中から小さな妖精がはい出した。
「三回働いたから砂糖ちょうだい」
教室が静まった。
妖精はセルジュの耳を引っ張った。
「暑い、暗い、風、水。全部わたしがやった。昨日から帽子の中で寝てたの」
セルジュは咳払いした。
「これが、使い魔を意識せず使役する最上位技術だ」
妖精は首を振った。
「たまたまです」
大賢者の無詠唱は、妖精の有給で終わった。