無音が名前を呼ぶ

砂原ルカの遺作ミュージックビデオには、音のない字幕が一行だけあった。

聴覚を失っている映像編集者の津守葉月は、追悼上映の最前列でそれを見た。曲は白いシンセと指鳴らしで終わり、波形もゼロになっている。それなのに画面下へ、黒い文字が浮かんだ。

〈声じゃなく、見ていて〉

字幕データには存在しない。上映責任者が慌てて操作卓を確かめる横で、葉月だけは動かなかった。

幼いころ、ルカは歌う前に必ず葉月の頬を両手で挟んだ。

「声じゃなく、見ていて」

音が届かなくても、唇と喉と息なら分かる。二人だけの合図だった。大人になり、ルカが歌手、葉月が映像編集者になってからも、撮影前には同じ言葉を言った。

半年前、ルカはリハーサル階段から落ちて死んだ。事務所代表の川添は、持病のめまいが原因だと説明した。葉月が最後に編集した映像にも、転落を疑わせるものはなかった。ただ、公開前日にルカから届いたメッセージには「最後の一秒を切らないで」とだけあった。葉月は余韻の指定だと思い、意味を尋ねないまま書き出していた。

サビが再び大音量で流れる。葉月には聞こえない。だが床を震わせる低音と、スクリーンの中で息を吸うルカの胸で、曲の爆発は分かる。ルカはカメラを見ず、画面の端にある黒いモニターを見ていた。

葉月は上映を止め、最後の一秒を一コマずつ戻した。

先ほどの一行は、字幕ではなく、アクセシビリティ用の代替テキストだった。葉月のアカウントで再生した時だけ表示されるよう、ルカ自身が公開予約に埋め込んでいた。

最後から七コマ目。黒いモニターの反射に、川添の手が映っている。ルカの吸入器と、よく似た別の容器を入れ替える手。六コマ目でルカが振り返り、五コマ目で川添が笑う。

音声には何もない。最後の歌詞も、歌には存在しない。

葉月は証拠保存を押し、客席後方の捜査員へ画面を送った。川添が出口へ向かう。葉月はスクリーンを指さした。

ルカがもう一度、こちらを見ている。

「声じゃなく、見ていて」

それは歌う自分を見てほしいという甘えではなかった。

自分を殺した手を、見逃すなという命令だった。