焼き上がり十一時

小鳥遊原実鈴は、限定百箱の焼き菓子を買うため、祖母と朝から列に並んだ。

開店十五分前、鬼束谷征侑が十二人を連れて横から入った。

「家族です。先に代表が並んでました」

代表だという男は、つい今しがた来たばかりだった。征侑は一人二箱ずつ買わせ、昼には十倍で売るつもりらしい。スマートフォンには〈完売確実・受取前予約〉の画面が見えていた。

店員が最後尾を案内すると、征侑は声を張った。

「子どもも年寄りも買うのが遅い。こっちは商売なんだよ」

店主は何も言わず、入口の札を裏返した。

〈一人二箱〉の下に、〈一世帯一箱・本人受取・転売目的の販売不可〉とある。整理券は昨夜の時点で、地域アプリの世帯番号と紐づけられていた。

征侑の十二人は住所こそ違ったが、受取連絡先と決済カードがすべて同じだった。しかも転売ページには、店の許可を得た公式配送だと虚偽表示されている。

店主は、列の客へ購入意思を一人ずつ確認し、誰も征侑の仲間を代表者として認めていないことも記録した。店主が画面を示す。

「当店の名前で、まだ焼けていない菓子を売りましたね」

征侑はページを消そうとした。しかし商店街の共同監視システムには、出品時刻と商品説明が保存済みだった。通販サイトの担当者もオンラインで確認し、詐称出品としてアカウント停止を告げた。

さらに菓子は要冷蔵で、店から本人へ直接渡すまで温度記録を管理する商品だった。無許可で発送すれば品質保証は外れ、店名を使えば商標侵害にもなる。征侑の“予約客”へは、サイトから全額返金通知が送られた。

「じゃあ普通に買う」

「列へ割り込んだ十二名には、本日の販売をお断りします」

後ろの人々が詰めずに一歩ずつ前へ出る。誰も怒鳴らず、誰も征侑の場所を空けなかった。

十一時、焼き上がりの鐘が鳴る。

実鈴の祖母が一箱を受け取り、半分は後ろの親子へ分けると言った。

返金通知が十二件同時に鳴った瞬間、征侑が買い占めたはずの菓子は一箱も手元へ来ず、正規の列だけに甘い香りが渡った。