燃える屋敷の青い箱
ノエラが実家を追い出された翌朝、侯爵家の西棟から火が出た。
「家宝を運び出せ!」
長兄ヴァルドの命令で、使用人たちは豪華な箱を次々と庭へ投げ出した。金の燭台、冬用の毛皮、故人の肖像画。だが煙の中で母が叫ぶ。
「領地証書は? 避難用の薬はどこ?」
誰も答えられなかった。宝石箱だと思って運び出した箱には、舞踏会用の空の仮面しかない。逆に、誰も見向きもしなかった煤けた小箱の中で、領民への給金台帳が火に包まれた。
倉庫には同じ形の木箱が四十。以前は青、赤、白の細い紐が結ばれていたが、ヴァルドが「貧乏くさい」と全部外させていた。その色が、火事の際に持ち出す順番だとは知らなかった。
ノエラは幼いころから「女のくせに腕力だけ」と笑われ、宴のたびに荷運びを命じられた。けれど彼女は運ぶだけではなく、薬、権利書、金貨、思い出の品を分け、青い箱だけなら五人で一分以内に搬出できるよう整えていた。
「青い箱はどれだ!」
煙で咳き込むヴァルドの前で、屋根が落ちた。
そのころノエラは、町外れの宿《帰り鐘亭》で、旅人たちの荷を廊下へ並べていた。前夜、厨房から小火が出た際、彼女は宿帳と薬箱と客の貴重品を三往復で外へ出した。
女将ベルネは焦げた帳面を撫で、深々と頭を下げた。
「あなたが作った避難箱のおかげで、誰も困らなかった。力持ちだからじゃない。何を先に守るか、決めてくれていたからだよ」
翌朝、宿の子どもまで青紐の意味を覚えていた。ベルネは「仕組みは、強い人がいなくても皆を動かせる」と言い、ノエラの印を宿の正式な規則にした。
ノエラには倉庫番ではなく、防災管理人として部屋と給金が与えられた。客たちは彼女の青い印を見れば、迷わず荷を持てる。
昼過ぎ、煤まみれの家令が宿へ駆け込んだ。
「お嬢様、屋敷へお戻りください。旦那様が、倉庫を元どおりにしてほしいと」
「私は勘当された身です」
「家族ではありませんか。今までどおり、荷物のことだけでも」
ノエラは新しい青紐を箱へ結び、家令を見た。
「勘当書への署名をもって、侯爵家との管理契約は終了しています」