父の心臓は二時十七分

午前二時十一分、鎧塚冬悟は手術室の壁時計を見上げた。時間反転装置の表示は〈残り一回〉。手の中には、父の工場で拾ったねじ山の潰れた一本のねじがあった。

人工心肺につながれた父が、酸素マスクの奥で言う。

「機械を止めろ」

二時十七分、心電図は必ず直線になる。冬悟は十二回、その六分間を戻した。電圧を上げた回では心筋が裂けた。輸血を早めれば血栓が飛んだ。執刀医を替え、薬を減らし、胸骨を閉じないまま待った。それでも二時十七分四十秒を越えられない。

装置の終了条件は、二時十八分まで父の自発心拍を保つこと。代わりに巻き戻すたび、使用者と対象者の共有記憶が一つ消える。すでに冬悟は、父に自転車を教わった坂も、二人で再建した工場の音も思い出せなかった。

最後の試行で、父はまた言った。

「機械を止めろ」

冬悟は聞こえないふりをして除細動器へ手を伸ばした。そのとき、父の指がねじを示した。工場を畳んだ日に、父が渡したものだ。たしか何かを言われた。だが言葉はもう消えている。

医療記録の隅に、父自身の署名があった。延命処置拒否。冬悟が装置を持ち込む前から、意思は決まっていた。

再試行を押せば、成功する可能性は残る。ただし最後に消える共有記憶は、父の顔だった。

冬悟は除細動器を戻し、反転装置の〈観察終了〉を押した。人工心肺の音が一つずつ止まり、二時十七分、緑の線が平らになる。

二時十八分。秒針は初めて先へ進んだ。

父を救えなかったのではない。父の選択を奪うことを、やめたのだ。

平らな線を前に、冬悟は父の手を握った。冷たくなるまでの数分だけは装置に奪わせなかった。執刀医は「次なら可能性があったかもしれない」と言ったが、冬悟は首を振った。可能性という言葉で、拒否の署名を塗り潰してきたのは自分だった。反転装置を分解し、記憶媒体を医療倫理委員会へ提出した。父を戻すために作った発明は、その日のうちに封印された。

夜明け、冬悟はねじを掌で転がした。何の機械から外れたのかは思い出せない。それでも、ねじにはまだ父の手の油の匂いが残っていた。