父は天気の話をしない
鵜飼誠志が死者回線を契約したのは、父・房秋の葬儀から五年後、息子の篤希が生まれた夜だった。
房秋とは、最後の十年間ほとんど口をきいていない。進路を否定され、家を飛び出し、結婚も知らせなかった。棺の前でさえ謝れなかったのに、自分が父親になると、急に聞きたいことが増えた。
「赤ん坊が泣きやまない。どうしたらいい」
『母親に聞け』
「母さんはもう寝てる」
『なら、おまえが起きてろ』
声は腹が立つほど変わらなかった。
誠志は毎月、命日に電話した。篤希が熱を出した、保育園で噛みついた、箸が持てない。房秋は「医者へ行け」「叱る前に理由を聞け」「そのうち持つ」と答えた。過去の話を向けると、決まって天気の話へ逃げた。
誠志は、父親の正解を集めているつもりだった。自分が房秋のようにならないための答えを、房秋本人から受け取ろうとしていた。
「俺が家を出た日、なぜ追いかけなかった」
『そっちは雨か』
「父さんは、いつもそれだ」
『こっちは天気がないからな』
篤希が十二歳の春、親子は激しく争った。私立中学を辞めて料理人になりたいという。誠志は「逃げるな」と怒鳴り、息子は部屋に閉じこもった。
その夜、誠志は房秋へ電話した。
「俺も同じことをしてる。父さんは、俺が家を出たとき何を思った」
長い沈黙のあと、房秋が言った。
『追えば、負けた気がした』
「何に」
『おまえに。たぶん、自分に』
初めて聞いた答えは、立派でも深くもなかった。ただの意地だった。
『次の日は晴れた。だから傘を返しに来ると思った』
「十年も?」
『十年、玄関に置いてた』
誠志は笑ったあと、泣いた。
翌朝、篤希の部屋の前に座った。
「料理人になることには反対だ。でも、話を聞かずに反対したくない」
扉はすぐには開かなかった。誠志は立ち去らなかった。
それから父へ電話する回数は減った。相談する必要がなくなったわけではない。房秋の失敗まで受け継げるようになったからだ。
一年後、篤希は料理学校の体験授業へ通い始めた。誠志も一度だけ見学し、息子が包丁を握る横顔に、自分の知らない時間が育っているのを見た。
その年の命日、受話器の向こうで房秋が尋ねた。
『そっちは天気どうだ』
誠志は窓を見ずに答えた。
「雨でも、今日は待つよ」