父親役は二人いらない
結婚の挨拶当日、御厨紗英の父は緊張のあまり寝室から出てこなくなった。
母は困り果て、向かいに住む元俳優の須賀尾へ頼んだ。
「十分だけ、父親のふりをしてください」
「厳格な父で?」
「普通で」
「普通が一番難しい」
須賀尾が座敷へ入ると、紗英の恋人・榧野は深く頭を下げた。
「本日は、お父様へ大切なお話が」
須賀尾は低い声を作る。
「娘は渡さん」
「まだ何も言っていません」
「間を節約した」
母が小声で言う。
「普通でお願いします」
榧野は改めて姿勢を正した。
「紗英さんと結婚させてください」
「君は娘を幸せにできるのか」
「必ず」
「年収は」
「父親役が最初に聞く質問ですか」
須賀尾は得意げに母を見る。
「現代劇だ」
「生活感を足しすぎです」
その時、玄関が開いた。
寝室にいたはずの本物の父・俊朔が、覚悟を決めて現れた。ところが座敷には見知らぬ年配男性が父親の席に座っている。
俊朔は思った。これは婿側の父だ。
「お待たせしました」
榧野が立つ。
「お父さん!」
須賀尾も立つ。
「お父さん?」
俊朔は榧野へ会釈した。
「そちらのお父様には、もうお話を?」
「ええ、今まさに反対されて」
俊朔は須賀尾を見た。
「息子さんを信じてあげてください」
須賀尾は芝居を崩せない。
「そう簡単にはいきません」
「娘は私の娘です」
「承知しています」
「なぜあなたが反対を?」
「父親ですから」
「私も父親です」
二人は立ったまま向かい合った。
榧野が混乱する。
「父親が二人?」
母が頭を抱える。
紗英は笑いをこらえている。
俊朔が須賀尾へ尋ねた。
「失礼ですが、どちらの父親で」
「今のところ、そちらの娘さんです」
「今のところ?」
「十分間限定で」
「父親に時間制?」
母がとうとう事情を説明した。
須賀尾は胸に手を当てる。
「では私の役目は終わりです」
俊朔は座布団を譲った。
「いえ、せっかくなので質問の見本を」
「年収から入りました」
「それは真似しません」
本物の父は、偽物の父より緊張して何も聞けなかった。
最後に須賀尾が小声で台詞を教えた。
「娘をよろしくお願いします」
俊朔はそのまま言った。
結婚の挨拶は成功したが、拍手したのは父親役だけだった。