猫又には一歩足りない

古瀬千汐が結婚式のため実家へ戻ると、十九歳の黒猫・針山は、挨拶より先に彼女のストッキングを裂いた。

「相変わらず祝福が鋭いね」

「二十歳になれば猫又だ。今はまだ、ただの性悪だな」

父の稲置禎吾はそう言いながら、針山へ鰹節を山盛りにした。母が亡くなって六年、父と猫は、互いを甘やかした責任を押しつけ合って暮らしている。

千汐の母は仕立屋だった。娘の花嫁衣装を縫うのが夢だと、よく巻き尺を首にかけて笑っていた。針山という名も、裁断中の布へ必ず座り、針を置く場所を奪うことから母がつけた。けれど約束は間に合わず、千汐は式場で借りたドレスを着ることにした。

「母さんの代わりを探すみたいで嫌だったの」

そう言うと、父は「そうか」とだけ答えた。

式の三日前、針山が姿を消した。

家中を捜し、最後に開けたのは、母の仕事部屋だった。ミシンは布をかぶり、糸巻きは色褪せている。針山は足踏み台の下で、古い菓子缶を抱えるように丸まっていた。

缶の中には、小さな白い布があった。猫の顔に切り抜かれ、片耳だけ縫われている。

「ああ……」

父が息を漏らした。

母は入院前、結婚指輪を運ぶためのリングピローを作り始めていたらしい。設計図には、針山そっくりの不機嫌な顔が描かれていた。

「続きを縫おう」と千汐が言うと、父は露骨に目をそらした。

「針へ糸を通したこともない」

「私もボタンを安全ピンで留める派」

二人は母の裁縫箱を挟み、動画で「玉結び」から調べ、夜更けまで格闘した。耳は左右で大きさが違い、ひげは曲がり、父は三度も指を刺した。針山は作業台の中央で眠り、肝心な糸だけを前脚で床へ落とした。

完成した猫は、母の設計図よりずっと不格好だった。だが、片方の耳だけは母が縫ったままなので、そこだけ驚くほど端正だった。

式当日、リングピローを見た係員が「味がありますね」と褒めた。千汐と父は同時に吹き出した。

バージンロードの手前で、父が小声で言った。

「母さんの代わりには、ならなかったな」

千汐は、曲がった猫のひげを撫でた。

「うん。三人で作ったものになった」

父の腕が震えたので、千汐は強く組み直した。

家では針山が、式場からの中継画面に背を向けて寝ていた。指輪が交換された瞬間だけ尻尾を持ち上げ、画面の中の白い猫を隠したという。

二十歳まで、あと一歩。

けれどその日、針山は猫又になるより先に、母の続きを家族へ届けた。