甘くない卵焼き
笹森茉白が昼休みに弁当箱を開けると、黄色い卵焼きだけが六切れ、きっちり二列に並んでいた。朝、母は「ごはんは自分で買って」と言った。昨夜の電話で茉白が、今日は食欲がないかもしれないと濁したからだ。
母の卵焼きは、菓子のように甘い。茉白が小学生のころ、運動会で一度だけしょっぱいものを作り、家族全員に不評だった。それ以来、砂糖の量は変わらない。
けれど今日は、右端の一切れだけ色が薄かった。
茉白は三か月後、恋人の女性と暮らし始める。母には「友達とルームシェアする」と伝えてある。嘘ではないと言い張れる言葉を選んだつもりだったが、物件の契約書に二人の名前が並んだ夜から、胸の奥に小さな棘が刺さっていた。母が拒むのが怖い。それ以上に、理解の遅い人だと最初から決めつけている自分を知られるのが怖かった。
左端から食べた。箸でつまむと柔らかく沈み、甘い香りが鼻へ抜ける。二切れ目も、三切れ目も、昔と同じ味だった。茉白は薄い一切れを最後まで避けた。
昨夜、母に料理の話をされたとき、茉白はうっかり「彼女は甘い卵が苦手だから」と言った。母は聞き返さず、冷蔵庫の卵を数えただけだった。その一言が何を指すか、わからなかったはずはない。
最後の一切れを噛む。だしの香りがして、砂糖は入っていなかった。少し巻きがゆるく、歯を当てると層がほどけた。おいしい、とすぐに思えたわけではない。慣れた甘さがないぶん、心細かった。それでも、拒まれた味ではなかった。
茉白は空いた右端へ、甘い卵焼きの最後の半分を移した。甘いものと甘くないものが、同じ箱に収まる。どちらかを捨てなくても蓋は閉まった。
母へのメッセージを開き、「あの子は右端が好きだと思う」と送った。友達、とは書かなかった。
六切れのうち一切れだけ違うことは、母なりの質問なのかもしれない。茉白は答えを急かされているとは思わなかった。右端を作るために、母もいつもの味を一度止めたのだ。その小さな変更を、見なかったことにはしたくなかった。
返事を待たず、茉白は残しておいた甘い半分を食べた。