痛くない朝の化粧水
宮廷で最も売れる《目覚めの雫》は、塗ると頬がひりついた。
「効いている証拠だ」と調香師たちは言う。だが朝ごとに侍女の頬は赤くなり、ついに第一王女が戴冠式で使うのを拒んだ。返品は四百七十本。工房主は責任を、転生者の下働きセナイへ押しつけた。
「お前が瓶を洗いすぎて、薬効まで落としたのだ」
セナイが雇われたのは三日前だ。それでも工房の職人は誰も工房主へ逆らえない。返品代を払えなければ、下働き全員が解雇されることになっていた。
前世で品質管理をしていたセナイは、香りを嗅がず、豪華な瓶にも目を向けず、化粧水を一滴だけ試験紙へ落とした。
紙は濃い青になった。
洗浄に使う灰汁が、調合桶へ残っていたのだ。彼は犯人捜しをせず、香料庫にあった弱い花酸液を一滴ずつ加え、そのたびに紙を替えた。青は緑へ、緑は淡い黄緑へ変わる。肌に近い弱酸性を示す印で手を止めた。
「色遊びで王女殿下を待たせるな」
工房主は従来品を自分の腕へ塗った。すぐに白い筋が浮き、爪で掻いた。セナイの調整品を反対の腕へ塗る。薔薇の香りは同じなのに、鐘が一度鳴っても赤みは出ない。触れた後の肌はきしまず、指が滑った。
王女は左右の頬で試した。従来品側だけが化粧粉を斑に浮かせ、調整品側は朝露のように薄くなじんだ。鏡を持つ侍女たちが息を呑む。いつも涙をこらえていた年若い侍女は、調整品を塗った頬を何度も押し、痛くない、と小さく笑った。
セナイは講釈を続けなかった。返品瓶から十本を抜き、同じ印まで調整し、並べた。すべて同じ色の試験紙になった。作業時間は一本四十秒。捨てるはずだった四百七十本が、五人で行えば昼前には売り物へ戻る。
さらに洗浄桶を調べると、灰汁のすすぎを省いた日だけ苦情が集中していた。工房主が納期を短く見せるため、すすぎ工程を削らせた記録も残っていた。
工房主の顔だけが青ざめた。
王女は返品台帳を閉じ、セナイの前へ王家の印章を置いた。
「戴冠式用五百本。以後、合格印を押す者はあなたです」