白い箱を閉じる鍵
挙式十分前、瀬戸口洸はホテル裏の搬入口で、伴野千紗から預かった真鍮の鍵を握っていた。
朝、千紗から三年ぶりに届いたメッセージは短かった。
〈合鍵をまだ持っているなら、式場へ持ってきて〉
彼女の部屋の鍵ではない。二人で借りた倉庫に置いていた、白いブリキ箱の鍵だ。別れた夜、千紗は箱を持ち去り、洸は鍵だけをポケットに残した。蓋には二人の字で〈どちらかが未来を決めた日に開ける〉と書いてあり、洸はその約束ごと忘れたふりをしてきた。
ドレスの裾を持ち上げて現れた千紗は、箱を台車へ置いた。
「開けて」
「中身、覚えてないのか」
「覚えてるから、今日まで開けなかった」
鍵を回すと、乾いた音がした。中には指輪の領収書、二人分の夜行バス券、家庭裁判所の封筒が入っていた。封筒の日付は、洸が突然「結婚する気はない」と告げた日の前日だった。
千紗が紙を開く。未成年だった洸の弟妹を、彼が引き取るための手続きだった。夜行バスは、千紗が働き始めた大阪へ三人で移るためのもの。指輪の受取予定日は、別れた翌週。
「どうして言わなかったの」
「言えば、残っただろ」
「残るかどうかを決めるのは、私だった」
返す言葉がなかった。あの頃の洸は、弟妹を抱えた自分と暮らすことを彼女の不幸だと決めつけた。嫌われるために「一人が楽だ」と嘘をつき、千紗はその言葉だけを信じた。
廊下の向こうから新郎が来た。洸は反射的に封筒を隠そうとしたが、男は首を振った。
「知っています。昨日、千紗が箱を開けるか迷って、全部話してくれました」
つまり真実が届かなかったのは今日までで、結婚を止めるためではない。ただ、千紗が自分を愛されなかった人間だと思ったまま名字を変えないためだった。
「今さら、ずるいね」と千紗は笑った。「でも、聞けてよかった」
呼び出しのベルが鳴る。洸は指輪にも切符にも触れず、紙を元の順番で戻した。箱の蓋を閉じ、鍵を一度だけ回す。
その鍵を新郎の掌へ置き、洸は搬入口から外へ出た。