白線の内側
市の地下歩道調査に使うグループチャットには、現場ごとの注意事項が固定表示されている。
【旧水梨歩道トンネル】
《床の白線を一度でもまたいではいけない》
二十五歳の磯貝直澄は、冗談半分に「道路交通法より厳しい」と書き込み、測距輪を押して入った。トンネルの中央には、塗り直されたばかりのような白線が一本、出口まで伸びている。直澄は右側を歩いた。
10:11 磯貝
入口から86m。漏水なし。
10:14 主任
白線から離れるな。
10:18 磯貝
古い自転車あり。左側。
画面を撮ろうとしたとき、スマートフォンが手から滑った。白線を越え、左側の排水溝ぎりぎりで止まる。直澄は測距輪を置き、片足だけ伸ばした。届かない。仕方なく白線をまたぎ、端末を拾い、すぐ右へ戻った。
10:19 磯貝
一回だけ越えました。スマホ落下。
既読はつかなかった。
その後、歩いても出口が近づかなかった。測距輪は三百、四百、五百メートルと増えたが、図面上の全長は二百十二メートルだ。白線の左側には、同じ服を着た男が、少し遅れて並んで歩いていた。顔だけが暗くて見えない。
直澄は右側を走った。やがて入口と同じ錆びた柵が現れ、外へ転がり出た。時計は十時二十分。主任からの返信は一件だけだった。
10:12 主任
まだ入るな。鍵を持って向かってる。
直澄は事情を話さず帰宅した。拾ったスマートフォンの歩数計には、同じ時刻に左右二本の移動軌跡が記録され、片方だけまだトンネル内を歩き続けていた。狭いワンルームで照明をつけると、床の中央に細い白い埃の筋が、玄関からベッドまで延びていた。掃除機をかけても消えなかった。
深夜、ロボット掃除機のアプリが清掃を終えた。作成された間取りは、彼の部屋を左右対称に二つ並べていた。中央には白い通路があり、右側の部屋に青い点、左側の部屋に灰色の点が表示されている。
青い点には《磯貝直澄》。
灰色の点にも《磯貝直澄》。
通知欄に、新しい清掃提案が届いた。
《未清掃エリアがあります。白線の左側へ移動しますか》