目的地が変更されました
常盤井那緒は、市の女性相談窓口を出て、手配されたタクシーへ乗った。
夫から逃げるため、スマートフォンも番号も替えた。今夜泊まる保護施設の住所は非公開で、配車アプリにも施設名ではなく青い盾の印しか表示されていない。
「目的地はシステムに入っています」
運転手はうなずき、後部ドアをロックした。
発車から十分後、画面に通知が出た。
〈ご家族が目的地を変更しました〉
〈新しい目的地 樫峰山荘〉
そこは夫の実家が所有する、山中の古い別荘だった。
結婚後、一度しか行ったことがない。住所を知るのは那緒と夫だけだ。
「止めてください。変更していません」
「家族アカウントからの指示は、こちらでは取り消せません」
「私は家族登録を解除しました」
運転手はバックミラー越しに笑った。
「同乗者の端末から変更されていますよ」
後部座席には那緒しかいない。
アプリの詳細を開くと、変更者は〈鷹栖秀彰〉。離婚調停中の夫の名だった。位置情報は、タクシーと完全に重なっている。
那緒は夫へ電話をかけた。
呼び出し音が、車の後ろから聞こえた。
低く、布に包まれたような音。
トランクの中だった。
那緒は通話を切った。
音も止まる。
「トランクを開けて」
「高速道路では危険です」
「警察へ行ってください」
「ご家族からは、警察へ寄らないよう承っています」
ドアノブを引いたが動かない。窓のスイッチも反応しない。スマートフォンは圏外になり、画面には目的地までの残り時間だけが表示された。
〈あと十八分〉
トランクから三回、内側を叩く音がした。
運転手は音楽の音量を上げた。
「ご主人から、途中で騒いだら聞こえないようにしてくれと頼まれました」
「いつから乗せていたの」
「あなたを迎えに行く前です」
那緒は、相談窓口を出たときから夫に見られていたのだと理解した。
赤信号で車が止まる。
後方から、トランクの緊急解除レバーを引く小さな音がした。
運転手が中央ロックをもう一度押す。
〈目的地まで、あと二分〉
画面の青い盾は消えていた。
代わりに、家族三人が手をつないだ印が表示されている。
後部座席の背もたれが、トランク側からゆっくり倒れ始めた。