空欄を喰う者
鳴海悠斗が召喚陣から起き上がると、目の前に銀の板が差し出された。
血を一滴落とせば、職業と能力が浮かぶらしい。隣で鑑定を終えた高校生には《炎帝》、会社員には《軍神の加護》が刻まれていた。
悠斗の血だけは、銀板に吸われても何も残さなかった。
「能力なし。役にも立たぬ空欄を、よくぞ異界から拾ってきたものだ」
白髭の大神官が笑うと、貴族たちも安心したように笑った。
悠斗は銀板ではなく、その向こうを見ていた。大神官の背後。壁に掛けられた聖印の中央だけが、妙に暗い。そこには、この世界へ来た瞬間から見えている文字があった。
《欠落捕食》
本来ここに存在しないものを、一つだけ喰らう。
暗がりが脈を打った。
大神官が次の鑑定へ進もうとした途端、聖印の裏から黒い角が伸びる。続いて、濡れた獣皮のような影が床へ落ちた。騎士たちが剣を抜く。王女の護衛が叫ぶ。
「魔界種だ! 結界の内側に、いつから――」
影は大神官の肩へ前脚を掛けた。大神官の白髭が震える。聖堂を守るはずの結界は、内側に潜んだものには反応しないらしい。
悠斗は一歩だけ前へ出た。
「それ、この場所にいていいものじゃないんですよね」
誰も返事をしない。返事の代わりに、影の口が耳まで裂けた。
悠斗は右手を向けた。
《欠落捕食》
一度だけ念じる。
空中に、輪郭だけの口が開いた。牙も舌もない。ただ向こう側が真昼のように白い穴だった。魔界種は吠える暇さえなく、角から尾まで紙片のように折り畳まれ、その口へ吸い込まれた。
音も、血も、戦いもなかった。
口が閉じると、聖印の中央に本来あるはずの金の宝石が戻っていた。長年そこへ巣食っていた影が、宝石ごと存在を隠していたのだ。
大神官は膝をついたまま、悠斗を見上げる。さっきまでの笑みは消えていた。
玉座の王女が立ち、騎士たちへ剣を収めるよう命じる。
そして空白だった銀板を、自ら悠斗の前へ捧げ持った。
何も刻まれていないはずの板を、今度は誰も外れとは呼ばなかった。