窓際で閉じた栞

設計事務所への応募書類を印刷した夜、尋子は本棚の奥から薄い写真集を引き出した。世界各地の駅舎を集めた本で、十年前、同級生の宙から借りたものだ。四十二頁には、折れたオープンキャンパスの案内が栞として挟まっていた。

高校三年の放課後、尋子はいつも窓際の席で進学情報誌を眺めていた。建物の断面図を描くのが好きだったが、父に「女が遠くの学校へ行ってどうする」と言われ、地元の銀行を受けることにしていた。

宙は前の席を後ろ向きにまたぎ、写真集を開いた。

「この駅、柱が一本もないように見えるだろ。屋根の重さを外側へ逃がしてる」

「私に説明してどうするの」

「好きそうだから」

尋子が設計を学びたいことを、宙には話していなかった。けれどノートの端に描いた階段や窓を、彼は見ていた。

卒業式の前日、教室には二人しか残っていなかった。宙は写真集に建築科の案内を挟み、「返すのは受けてからでいい」と言った。

「受けないよ」

「じゃあ、受けないって自分で決めてから返して」

責められた気がして、尋子は本を閉じた。

「宙はいいよね。家を出ても困らないから」

宙は何も言わず、窓を閉めた。その音だけが妙に大きかった。翌春、彼は県外へ進み、尋子は銀行員になった。本は、返せなかったのではなく、開けなかった。

二十八歳の今、尋子は栞を抜いた。案内の裏に小さく文字があった。

〈困らない人なんていない。困っても行きたいかを聞いてる〉

銀行を辞める決心が正しいかは、まだ分からない。窓口で伝票の裏へ階段を描いては捨てた年月も、急には取り戻せない。夜間の専門課程から始めても、仕事にできないかもしれない。それでも応募書類の志望動機に、初めて自分の言葉を書けた。

翌日、同窓会で宙に写真集を返すと、彼は古い傷を確かめるように表紙を撫でた。

「読み終わった?」

「ううん。今から」

尋子は栞だけを受け取り、応募書類を鞄に入れた。窓際から離れた席でも、進みたい方向はもう見えていた。