筍ご飯の時刻
早朝、青果店の前に掘りたての筍が並ぶ。
史暁は毎年、一番小さいものを一本買う。大きな鍋を持たない一人暮らしには、それで十分だった。
今年は同じアパートの瑚子と店先で会った。彼女の籠には大きな筍が二本ある。
「そんなに食べるの」
「灰汁抜きして、近所に配るんです」
瑚子の台所には、筍が入る寸胴鍋があった。史暁の一本も一緒に茹でてもらうことになる。
米糠と唐辛子を入れ、二時間。鍋は低く煮え続け、部屋に土と米の匂いが満ちた。
「冷めるまでが灰汁抜き」と瑚子は言う。
史暁は待てずに帰ろうとしたが、珈琲を出され、窓辺で話した。隣に住んで三年、挨拶以外の会話は初めてだった。
夕方、鍋の湯はまだ温かい。皮を剥くと、中から小さな白い筍が出た。
翌朝、史暁は筍ご飯を炊いた。油揚げと薄口醤油、木の芽。炊飯器を開けると、湯気に山のような香りがした。
半分を瑚子へ届ける。彼女からは若竹煮が返ってきた。
「同じ筍なのに、違う匂い」
昼、廊下で二つの部屋から出汁の香りがした。
翌年も青果店で会った。偶然ではなく、昨年、筍が並んだ時刻を二人とも覚えていたからだ。
今度は大きな一本を分けた。茹で上がりを待つ間、鍋の湯気が曇らせた窓へ、春の朝日がゆっくり差し込んだ。
瑚子が引っ越すことになり、寸胴鍋を史暁へ譲った。新居には大きすぎるという。翌春、史暁は一人で筍を茹でた。鍋の扱いには慣れたが、待つ時間だけが長い。珈琲を二杯飲み、廊下へ出ると、以前の瑚子の部屋には新しい住人の灯りがついていた。炊き上がった筍ご飯を小さな容器へ入れ、挨拶がわりに届ける。蓋を開けた相手が「春の匂い」と言った。寸胴鍋はまた、隣り合う二つの部屋の時刻をゆっくり合わせ始めた。
新しい隣人は翌日、空容器へ苺を入れて返した。史暁は一粒食べ、筍とは違う春の甘さに笑う。廊下には土の匂いと果物の香りが並び、壁一枚を越えて行き来した。