籾殻の狼煙
雁州城の炊煙は、日が落ちても三百本立っていた。
城外の魏軍は、それを見て攻める日を延ばしている。飯を炊く煙が多い城は、まだ痩せていない。そう読むのが戦場の常識だった。
だが穀倉主簿の沈砥が握っているのは米ではなく、湿った籾殻だった。
「あと何日だ」
太守の裴瑛が訊いた。
「人が人でいられるのは、今夜までです」
兵には昨日から、革帯を煮た汁しか出していない。椀の底を箸で掻く音だけが、城内の路地を巡っていた。三百の竈で燃やしている籾殻は、前年の収穫から残った殻だ。煙は出る。腹には入らない。
捕らえた魏の斥候が、柱に縛られてこちらを見ていた。沈砥は斥候の鼻先へ籾殻を差し出した。
「何の匂いだ」
「濡れた殻だ。米ではない」
「よく分かるな」
「俺は農家の子だ」
裴瑛が剣へ手をかけた。沈砥は首を振った。
「殺せば、煙を信じたままです」
「放せば、空だと知られる」
「知らせます」
城の北には枯れ川があり、魏軍の大半は高台に陣を置いている。兵糧が尽きたと知れば、夜のうちに城壁近くの低地へ寄せ、夜明けを待たず攻めるだろう。
上流の堰は、三日前から城兵二十人が切り崩している。雨で膨れた水は、土嚢一列に止められていた。
沈砥は斥候の縄を切った。
「走れ。煙の正体を話せ」
斥候は疑った。
「なぜだ」
「空腹の男は、秘密を守るより早く走れる」
斥候が闇へ消えると、裴瑛が低く言った。
「堰が破れなければ」
「城は落ちます」
「破れても、低地へ来なければ」
「城は落ちます」
沈砥は湿った籾殻を竈へ投げた。白煙が太くなり、目に沁みた。主簿の指は算木より軽い殻を覚えていた。数えれば三百竈、量れば何もない。戦では、その何もないものが千人を動かす。
「どのみち明日はありません。ならば敵に、今夜を選ばせるだけです」
四半刻後、城外の高台から松明が下り始めた。数百、数千。飢えた城を踏み潰そうと、枯れ川へ集まってくる。
裴瑛は城壁に立ち、上流の暗がりを見た。
やがて遠くで、土が裂けるような低い音がした。
沈砥は最後の籾殻を火へくべる。
裴瑛が腕を振り下ろした。
堰切りの青旗が、夜空へ上がった。