緑のテープの合鍵

安西葉月が一日だけ病院を出たのは、合鍵を一本作るためだった。

退院の予定はない。医師はもっと柔らかい言い方をしたが、葉月にはそれで十分だった。ベランダの鉢植えを、隣室の小田さんに頼むことにした。水やりのために毎回管理人を呼ぶのは面倒だし、小田さんは「預かるよ」と言ったが、七鉢を運ぶほうがよほど大仕事になる。

駅前の鍵屋までは、タクシーで七分。葉月は玄関の鍵をハンカチに包み、薬の袋と同じ鞄へ入れた。鍵屋のカウンターには、色とりどりの鍵頭が並んでいた。

「合鍵ですね。五分くらいです」

店員は何も知らない声で言い、銀色の素材を機械に固定した。細い金属音が店内に散る。葉月は椅子に座り、膝の上で診察券の角を押さえた。五分は短い。けれど病室では、五分あれば点滴が何滴落ちるかまで分かる。

出来上がった鍵は、元のものより軽く見えた。店員に色付きのカバーを勧められ、葉月は緑を選んだ。小田さんは赤が好きだが、赤い鍵は緊急用みたいで落ち着かない。代わりに細い緑のビニールテープを一周だけ巻いてもらった。

自宅へ戻ると、部屋は朝のままだった。ソファには畳みかけの毛布、流しには水切り中のコップ。葉月は合鍵を一度、玄関の錠へ差した。回すと、乾いた音がして、内側のつまみが動いた。

隣室の呼び鈴を押したが、小田さんは留守だった。頼まれていた通り、共用廊下の消火器箱の裏ではなく、小田さんの新聞受けの内側へ、封筒に入れて置く。だが封筒では、鍵だと分からず捨てられるかもしれない。

葉月は部屋へ戻り、台所の引き出しから小さな木札を出した。鉢の土を買った店でもらった値札だ。表に「水曜と日曜」とだけ書き、緑の鍵へ結ぶ。水の量も肥料の時期も書かなかった。小田さんは、葉月より植物を枯らさない。説明はそれで足りる。

もう一度隣へ行き、新聞受けの蓋を持ち上げた。木札が引っかからないよう向きをそろえ、葉月は合鍵を奥へ滑らせた。緑のテープが暗がりに消え、蓋が静かに閉じた。