聖杯は彼女を裁けない
「異端審問を始める」
白亜の大聖堂で、聖女エルシアは鎖につながれたまま跪いていた。罪状は、大神官ドメニクの神託を「偽物」と言ったこと。証拠はない。必要なのは、彼女が毒杯で死ぬという結末だけだった。
祭壇に黄金の杯が置かれる。
中身は〈神罰の雫〉。罪人が飲めば血が燃え、無実なら神が守る――そう宣伝されているが、実際には誰が飲んでも死ぬ。調合したのがドメニク本人であることを、エルシアは知っていた。
「神を信じるなら飲め」
彼女は杯を持ち上げた。参列者の視線が喉に集まる。透明な液体を飲み下すと、床の聖印が赤く光り、熱風が法衣を揺らした。
ドメニクは微笑んだ。毒は心臓から全身へ回り、七秒で発火する。
一。二。三。
七を過ぎても、エルシアは跪いたままだった。
「濃度が足りぬのか」
大神官は杖を祭壇へ突き立てた。杯に残った毒を媒介に、処刑魔法〈天火葬〉を起動する。罪人の内側から炎を噴き上げる、聖堂最大の術式だ。
轟音と白煙が柱を隠した。信徒たちは顔を伏せ、石床が赤く溶ける。ドメニクは勝利を確信し、次の大神官選挙で語る殉教譚まで考えていた。
煙が薄れる。
最前列の信徒が顔を上げ、次々に息を呑んだ。エルシアは同じ姿勢で跪いていた。鎖だけが溶け、白い衣には煤ひとつない。彼女を囲む聖印だけが、攻撃した側を咎めるように逆向きへ輝いている。
彼女は立ち上がり、祭壇脇の審問用水晶へ手を置いた。対象の生命、防御、加護を数値化する神具である。ドメニクは苛立ちながら測定を命じた。
水晶に文字が走る。
《生命損耗率 〇》
《毒性侵入率 〇》
《天火葬被害 〇》
「加護だ! どの神の加護だ!」
「いいえ」
エルシアは、かつて役立たずと笑われた固有職〈聖域〉の本当の意味を口にした。
「私が守られているのではありません。私の内側に入ったものは、すべて私の領域になります。毒も炎も、領主に刃向かえないだけです」
水晶がさらに震え、数値欄を埋めようとして亀裂を走らせる。最後に浮かんだ判定を見て、ドメニクの唇から祈りが消えた。
《防御値 測定不能》