脱水の残り九分

土曜の午前十時十二分、和泉は洗濯機の前にしゃがみ込んでいた。

液晶には〈脱水 残り九分〉。昨夜、ベッドで食べたクッキーの粉がシーツの縫い目に入り、朝から二度もはたいたのに取れなかった。

スマートフォンが震え、叶恵からビデオ通話が来た。大学を出て最初の会社で隣の席だった友人だ。今も月に一度は話すが、画面越しに会うとき、和泉はたいてい部屋の散らかっていない角度を探す。

今日は間に合わず、洗剤の詰め替え袋と、床に落ちた靴下が映った。

「ごめん、洗濯中」

「私も。っていうか、聞いて」

叶恵は左手をカメラに近づけた。銀色の輪が、光を拾って白くなった。

「来月、籍入れることになった」

和泉は「あ」と言ったあと、少し遅れて「おめでとう」と続けた。

叶恵は三年前、二人で深夜のファミレスにいたとき、「私たち、結婚しなくても老後に同じマンション住めばいいよ」と言った。その冗談を、和泉は叶恵より長く覚えていたらしい。

画面の向こうで、叶恵が息を吸った。

「言いづらかった? この前のこと、聞いてたから」

この前のこと、とは、和泉が半年付き合った相手と別れたことだ。大恋愛でもなかったのに、別れてから土曜の洗濯が増えた。相手の家に置いていた部屋着やタオルが戻ってきたからだ。

「大丈夫」と答えかけて、和泉はやめた。

「ちょっと寂しい。でも、うれしい。両方」

叶恵は一度だけ目を伏せ、それから「うん」と言った。励ますでも謝るでもない声だった。

洗濯機が脱水へ移り、床が低く震え始めた。叶恵は式場の話を始めたが、途中で宅配便が来て通話は切れた。部屋に残ったのは、機械の回転音だけだった。

終了音が鳴る。和泉はふたを開け、湿ったシーツを持ち上げた。干せば昼までに乾く。靴下も畳める。クッキーの粉を掃除する時間もある。

けれど、全部を終えた休日だけが、ちゃんとした休日ではない。

和泉はシーツだけベランダに広げ、残りの洗濯物はかごに戻した。カーテンを半分閉め、まだ午前中のベッドに横になる。

叶恵への祝福も、自分の寂しさも、いま畳まなくていい。洗いたての枕の匂いの中で、和泉は十一時まで眠ることにした。