臨時局、九月一日閉鎖
【七月三日】
砂鐘島夏期臨時郵便局、開局。
局員・土師部汀子。
配達員・久礼生修己。
取扱件数、四十七通。
汀子は亡母の家を片づけるため、二十七年ぶりに島へ戻った。
九月には娘夫婦の住むカナダへ移る。
修己は島で生まれ、郵便船を操り、冬も一人で集落を回る。
最初の会話は、宛先不明の葉書だった。
「〈昔のあなたへ〉では配れません」
汀子が言う。
「島が小さいから、案外届く」
「郵便は勘では扱いません」
「人の気持ちは、住所より勘が当たる」
【七月十八日】
取扱件数、六十二通。
閉局後、二人で宛先不明葉書の差出人を捜す。
見つからず。
代わりに防波堤で西瓜を食べる。
【八月二日】
修己、汀子へ交際を申し込む。
汀子、九月までなら、と回答。
修己、期限付き郵便みたいだと笑う。
二人は島じゅうを歩いた。
空き家へ届く暑中見舞い、都会へ出た孫からの写真、墓前へ供えるための手紙。
修己はどの家の犬が噛むか知っていた。
汀子は誰の字が震え始めたか気づいた。
夕方になると、臨時局の裏口で冷えた麦茶を飲んだ。
五十を過ぎてからの恋は、若い頃より静かで、だから少しも無駄にできなかった。
【八月二十八日】
汀子、母の家の売却を完了。
修己、冬期航路の継続を決定。
二人とも予定変更なし。
「来年も臨時局へ来ればいい」
修己が言った。
「来年は、孫の学校のお迎え係」
「手紙を書く」
「返事を待つ?」
「待つと思う」
汀子は首を振った。
互いの人生には、もう動かせない人や仕事があった。
恋を続ければ、どちらかがそれらを「相手のせいで諦めたもの」にしてしまう。
【八月三十一日】
最終取扱、封書一通。
差出人・久礼生修己。
宛先・土師部汀子。
切手なし。
「これでは送れません」
「手渡しだから」
中には一行だけあった。
〈この夏、あなたを好きになれて、島に残ることが寂しくなりました〉
汀子は局の消印を押さず、鞄へしまった。
代わりに閉局日誌へ記した。
〈本日をもって業務終了。未配達なし〉
九月一日、汀子は始発の船へ乗った。
修己は桟橋で帽子を上げた。
二人とも笑っていた。
船が島を離れると、汀子は初めて泣いた。
鞄の手紙には切手も消印もない。
どこの国へ移っても、あの夏から先へは配達されない手紙だった。