自動更新の午前零時
共同アトリエの利用契約が切れるまで、あと十一分だった。
野上麻帆と倉田啓介は、管理人の帰った受付で一台のノートパソコンを挟んでいた。二人が週末だけ借りている六畳の部屋。麻帆は布小物を縫い、啓介は革の鞄を作る。窓際には別々の作業机があり、そのあいだにだけ、二人で選んだ電気ケトルがあった。雨の日は互いの傘を乾かし、売れた日は駅前の餃子店で小さく乾杯した。
画面には〈六か月自動更新〉と〈契約終了〉のボタンが並んでいる。
「更新する?」
「先のことは分からない」
麻帆は、来月の予定さえ口にするのが苦手だった。三年前、婚約者と式場を予約し、招待客の住所を集め、新居のカーテンまで買った。その翌週、相手は別の人を好きになったと言った。確定したはずの未来ほど、壊れたとき鋭い。以来、旅行は直前予約、手帳は鉛筆、恋人とは季節の先を話さない。
啓介とは「付き合おう」と言わないまま一年が過ぎた。作業の休憩に同じカップ麺を食べ、麻帆のミシンが壊れれば啓介が直し、啓介が指を切れば麻帆が絆創膏を貼った。それでも半年後の部屋を決めることは、愛情を保証書に変えるようで怖かった。失う前提で逃げれば傷は浅くても、残るものまで少なくなるとは考えないようにしていた。
「俺、更新しなくても怒らないよ」
「先のことは分からないから」
「うん。分からないことを責めてない」
時計は二十三時五十七分になった。啓介がカーソルを〈契約終了〉へ動かす。
「ただ、この部屋がなくなったら、会う理由もなくなる気がした」
麻帆は反射的に、仕事以外でも会える、と言いかけた。だが言葉だけなら、未来より簡単に消せる。
二十三時五十九分。警告画面が点滅する。
麻帆は啓介の手の上からマウスを取り、〈六か月自動更新〉を選んだ。支払方法を二人で積み立てている作業費口座へ変更し、確認欄に自分の名前を入力する。
「先のことは分からない。だから、分からないまま更新したい」
午前零時、画面に〈更新完了〉と表示された。麻帆は半年後の自分へ、初めて消せない予定を一つ残した。