花壇観察日誌_第0号
花壇観察日誌――第〇号
【四月八日】
商店街の花壇に、新しい子が水をやっている。
日本語教室へ通い始めたばかりらしい。
話しかけると、じょうろを指し「みず」と言った。
こちらがパンジーを指すと、首をかしげた。
【四月十日】
厚紙へ〈パンジー〉と書き、花壇へ挿した。
子はその下に、母語らしい文字を書いた。
通りかかった魚屋が、別の言語での呼び名も調べて追記。
札が急ににぎやかになる。
【四月十四日】
子、毎朝七時に来る。
水を多くやりすぎるため、「土を触って、乾いていたら」と身振りで伝える。
子は土へ指を入れ、私にも触るよう促した。
二人で指を汚す。
【五月二日】
私は病院の検査で不在。
花壇には、子が描いた絵が置かれていた。
乾いた土には泣く顔。
濡れた土には笑う顔。
説明が、私の長い文章より分かりやすい。
【五月十二日】
検査結果、入院が必要。
花壇の世話を頼もうとしたが、言葉が出なかった。妻を亡くして以来、一人でできることを増やすほど安心していた。頼めば、弱ったことを認めるようで怖かった。
子が私の診察券を見て、病院の絵を描いた。
次に自分、じょうろ、花の絵を順番に描いた。
〈あなた、びょういん。わたし、みず〉
初めて聞いた長い日本語だった。
【六月二十日】
退院。
花壇の札は十六枚に増えていた。日本語、英語、中国語、ベトナム語、絵、点字の小さな板。商店街の人たちが加えたらしい。
子は私を見ると、土へ指を入れた。
少し湿っている。
入院中、商店街の人が毎日一枚ずつ写真を送ってくれていた。花よりも、水を運ぶ手や、札へ文字を足す人の姿が多く写っていた。
「今日は、水、いらない」
正しい判断だった。
【七月一日】
新しい札を設置。
〈花壇観察日誌 第〇号〉
第一号ではない。
誰が最初に水をやったか分からないからだ。
子が下へ書き足した。
〈〇は、みんなのまる〉
私は日誌を閉じた。
花へ水をやる親切から始まったと思っていた。
本当は、言葉の少ない子と、人へ頼れない老人が、互いに話せる場所を育てていたのかもしれない。