苦くないスープ
遼介は、私の作るスープを褒めなくなった。
湯気には生姜の匂いが立ち、見た目は以前と何も変わらない。それでも彼は匙を入れる前に、底を探るようにゆっくりかき混ぜた。私が「毒でも入ってるみたい」と笑うと、遼介は笑い返さず、器の縁についた一滴を紙ナプキンで拭った。
以前は一口飲むたび「落ち着く」と目を細めたのに、婚約してからは、食卓に置いた器を必ず写真に撮る。私が台所へ戻ると、左右の皿を入れ替えていることもあった。
「どっちでも同じじゃない」
そう言うと、彼は妙なことを聞いた。
「涼帆は、自分の分を先に味見した?」
私が彼を支えてきた。眠れない夜も、仕事へ行けない朝も、白湯を飲ませ、薬を管理し、上司には私から事情を説明した。遼介は気が弱い。放っておけば無理をして壊れるから、私は彼のために睡眠薬を少し調整していた。
処方どおりでは効かない日もある。そんな時は錠剤を砕き、スープに混ぜる。眠ってしまえば、会社も彼を責められない。私がそばにいる理由もなくならない。
一度、薬を入れ忘れた朝だけ、遼介は一人で出勤できた。夜には同僚と笑って帰ってきた。その姿を見て、無理をしているのだと胸が痛んだ。私は翌日から分量を間違えないよう、錠剤の数を手帳へ記録した。彼の回復を急がないことも、支える人間の務めだと思っていた。
ある晩、遼介は一口も飲まず、「塩を取って」と私を振り向かせた。戻ると器の位置が変わっていた。私は自分の皿を引き寄せ、彼の方をそっと押した。
「冷めるよ」
「うん。今日は君が飲んで」
声が硬かった。私は笑って断り、泣きそうな顔を作った。彼はいつも、それで折れるはずだった。
だが遼介は椅子から立ち、保温容器を鞄に入れた。玄関には、制服姿の警察官と会社の産業医がいた。
「体調不良について相談を受けています。食事の成分も調べます」と警察官が言った。
私は裏切られた気がした。誰より彼の具合を気遣った私を、病人扱いするなんて。
遼介は最後まで私のスープを捨てなかった。
彼が証拠袋へ移した器の底には、私が愛情と呼んでいた白い粉が、まだ溶け残っていた。