苺を食べない羽澄
潮見羽澄は、苺が嫌いだった。
私が見舞いに持っていった苺のゼリーを見て、困ったように笑った。
「せっかくですけど、酸っぱいものは苦手で」
「前は、何より好きだったのに」
「人は変わりますから」
そう答える声は、記憶より少し低い。
事故から半年。羽澄は歩行訓練を続けていた。胸には長い手術痕があり、階段を一段上がるだけで息を切らした。私は毎週病院へ通い、窓辺で昔の話をした。
七歳の夏、海で片方だけ失くした赤いサンダル。十二歳の冬、屋根へ上がって見た流星群。高校の卒業式で、泣かないと意地を張ったこと。
羽澄は静かに聞き、ときどき謝った。
「覚えていなくて、ごめんなさい」
「無理に思い出さなくていい」
私はそう言いながら、心のどこかで期待していた。名前を呼び続ければ、目の前の彼女の中から、私の知る羽澄が振り返るのではないかと。
退院の日、羽澄は私へ小さな封筒を渡した。
〈心臓を託してくださったご家族へ〉
そこで、私が半年間隠していた事実が明らかになる。
私の娘、潮見羽澄は、事故の夜に亡くなった。
目の前の女性も、偶然まったく同じ〈潮見羽澄〉という名前だった。年齢も顔も違う、会ったことすらない他人。娘の心臓を移植された人だった。
面会の申請書で名前を見たとき、病院の誤記だと思った。実際に会い、同じ名を呼べば、娘の続きを見られる気がした。
「私は、羽澄さんの代わりにはなれません」
彼女は胸に手を置いた。
「分かっています」
ようやく、本当にそう言えた。
私は退院祝いの紙袋を差し出した。中身は苺ではなく、彼女が好きだと話していた焙じ茶だった。
「これは、あなたに」
彼女は初めて、申し訳なさそうではない笑顔を見せた。
同じ名前は、娘を返してはくれなかった。
けれど違う人だと認めたとき、私はようやく、娘の名前を誰かから奪わずに呼べた。
「お元気で、潮見羽澄さん」
「ありがとうございます、潮見さん」
病院の玄関で、二人の羽澄は別々の未来へ歩き始めた。