裏返しのカーディガン
姉の頼みは、洗濯物を畳むことだった。
「乾燥機、終わるの十七時十二分。私のカーディガンだけ、裏返しのままでいいから」
久世莉子は、病室の時計を見た。十七時十二分まで、あと四時間。姉は今夜を越せないかもしれないと、午前中に医師から聞いていた。
「今じゃなくてもよくない?」
「湿ったままだと臭くなる」
姉らしい返事だった。何でも先回りして片づけ、莉子が床に脱いだ靴下まで無言で表に返す人だった。
実家へ戻ると、乾燥機は残り九分を表示していた。回転する窓の向こうに、タオルと父の肌着と、薄い灰色のカーディガンが混ざっている。姉が通院の日にいつも羽織っていたものだ。
洗面所の棚には、姉が作った「畳み方」の紙がまだ貼られていた。タオルは輪を手前、肌着は首を右。家族の誰も守らないのに、姉だけは剥がさなかった。莉子は紙を裏返してみた。裏にはスーパーの特売日が鉛筆で書かれており、来月の欄まで丸がついていた。
終了音が鳴り、莉子は温かい布を籠へ移した。柔軟剤は姉が選んだ無香料なのに、乾いた布には日なたに似た匂いが残っていた。父の肌着は三つ折り。タオルは端をそろえる。姉のやり方を真似るほど、腹が立った。もう本人が使わない服を、なぜきれいに畳まなければならないのか。
父から「病院へ戻るなら迎えに行く」とメッセージが来た。莉子は「あと一枚」とだけ返した。
最後にカーディガンを持ち上げた。裏返った袖から、洗濯表示の白い札が出ている。胸ポケットの内側に、小さなほつれがあった。
莉子は反射的に袖へ手を入れ、表へ返しかけた。
そのとき、裏側の縫い目に青い糸が見えた。高校生のころ、莉子が家庭科で初めて繕った跡だった。曲がった針目を姉は笑わず、「見えないところだから合格」と言った。それ以来、姉はそのカーディガンを捨てなかった。
莉子は手を抜いた。袖は裏返しのまま、縫い目も青い糸も外側に残った。
身頃を半分にし、左右の袖を重ねる。片方が二センチほどはみ出したが、直さなかった。
引き出しのいちばん上に置き、温かさが逃げる前に、静かに閉めた。