補正前を残してください
母は、亡くなった父の写真を人工知能で修復し始めた。
色褪せた海水浴の一枚は鮮やかになり、暗かった運動会の顔も明るくなった。母は子どものように喜んだ。
「ほら、お父さんがこんなにはっきり」
娘は画面を拡大した。
父の左眉にあった傷が消えている。
笑うと少し欠けて見えた前歯も、きれいに揃っている。
肩へ置かれた手は、指が一本多かった。
「これ、直したんじゃなくて作ったんだよ」
「でも、きれいでしょう」
「お父さんじゃないところまで混じってる」
母は画面を閉じた。
「ぼやけた顔しか残ってないよりいいじゃない」
父は写真が苦手で、いつも動いた。家族写真では半分目を閉じ、旅行先では指がレンズにかかっている。母は、その不完全さが悲しくて仕方なかったのだ。
数日後、娘は古いアルバムを持ってきた。
「二つ作ろう」
一つは〈記録〉。傷もぶれもそのまま保存する。
もう一つは〈想像〉。人工知能が補った部分を表示し、誰がどんな記憶を足したか注釈をつける。
海水浴の写真には母が書いた。
〈この日、夫は青い水着だった。たぶん、この補正より腹が出ていた〉
運動会には娘が書いた。
〈眉の傷を戻す。笑ったときの前歯も欠けたままにする〉
二人で指を一本消し、父らしい不格好な手へ直した。
「想像の写真は、嘘なの?」
母が尋ねた。
「嘘にしないため、想像だと書くんだよ」
娘は補正前と補正後を重ねて表示する方法を教えた。母は境目を何度も動かし、機械が知っている部分と、知らないまま埋めた部分を見比べた。
最後に、ひどくぶれた三人の写真があった。父が走ってきて、セルフタイマーに間に合わなかった瞬間だ。
母は補正ボタンへ手を伸ばし、止めた。
「これは、このままでいいか」
写真の端で、父は半分しか写っていない。母と娘は驚いて笑い、全員の体が揺れている。
「きれいじゃないけど、一番楽しそう」
娘が言うと、母はうなずいた。
人工知能は、失われた色を埋められる。
けれど、ぶれた理由までは知らない。
その理由を覚えている二人がいるうちは、写真は欠けたままでも、家族の中では十分にはっきりしていた。