西京味噌の焦げ際
霧島俊成が昇進の内示を受けた夜、半年ぶりに「かさね」へ入ると、店主は短冊の裏から鰆を出した。
「今日はある。焦げ際、残すだろ」
俊成は、鰆の西京焼きを頼むときだけ、端を少し強く焼いてもらっていた。甘い味噌の中に苦いところがあるほうが、最後まで飽きない。そんな好みを話したのは、新人だったころだ。
網へ置かれた切り身から、味噌が焼ける小さな音が続いた。脂が落ちるたび火が一瞬明るくなり、甘い香りの奥へ煙の苦さが混じる。皿へ移された身を箸で割ると、乳白色の湯気が細く立ち、表面の濃い焦げがぱりりと崩れた。
内示は係長だった。二十八歳では早い。上司は、先月決まった大型契約を評価したと言った。
契約の入口を作ったのは後輩だった。先方の購買記録を読み込み、相手が困っている工程を見つけた。俊成は提案書を整え、役員説明を担当しただけだ。会議で上司が「霧島の発案」と言ったとき、訂正する間はあった。だが、拍手が起きたあとでは遅いふりをした。
後輩は何も言わない。今日も「おめでとうございます」と笑った。その笑顔が責めていないぶん、俊成には都合が悪かった。
鰆の柔らかな身は甘く、端へ近づくほど味噌が濃い。店主は焼き網を洗いながら言った。
「そこ、昔から最後に食うな」
俊成は焦げ際を残していることに気づいた。好きなところを最後に取っておく癖まで覚えられていた。
来月からは、その後輩を含む四人をまとめる立場になる。今のまま肩書だけ受け取れば、最初の指示を出すたび、あの拍手が二人の間へ置かれる。後輩が転職を考えていても、止める言葉を持てない。
昇進を断る文章は、昼から何度も書いている。だが断れば、正しい人間になれるわけではない。後輩の仕事が消えたまま、自分だけ傷つかずに済む。
俊成は会社のメールを開き、明朝の上司との面談を予約した。件名は「契約獲得の評価根拠について」。資料の作成履歴と、後輩が送った最初の分析を添付する。係長の話がなくなる可能性もある。それでも、受けるか断るかは、そのあとに決める。
焦げた端を噛むと、甘さの底に薄い苦みがあった。飲み込んでも舌の奥へ残り、味噌の温かさだけが、少し遅れて戻ってきた。