親子喧嘩_実況中

親子喧嘩、実況中

「さあ息子選手、ただいま午前七時二分、靴下が片方見つかりません!」

「実況するな!」

 母は昔から、何でもスポーツ中継のように話した。

「冷蔵庫前で迷っております。牛乳か麦茶か、重大な選択です」

「朝からうるさい」

「反抗期選手、今日も仕上がりは上々!」

 母は地域ラジオのアナウンサーだった。小学生のころは自慢だったが、中学に入ると恥ずかしくなった。友達の前でも「帰宅時間、自己新記録です」などと言う。

「もう俺のことを放送するな」

 強く言った翌週、母は喉の手術を受けた。

 命に関わる病気ではなかった。ただ、しばらく大声を出せない。家から実況が消えると、静かすぎて時計の針まで耳についた。

 その年の体育祭、親子障害物競走に出る予定だった父が出張になった。母は医者から渡された〈発声は短く、小さく〉という紙をポケットへ入れ、代役を申し出た。

「無理しなくていい」

「実況なしでも走れることを証明します」

 スタート直後、母は網に髪を引っかけた。次の平均台では両手を広げすぎて、隣の親まで巻き込んだ。私は恥ずかしいより先に笑ってしまった。

 最後は二人三脚だった。結び目が緩み、母が転んだ。

 会場のスピーカーから、放送委員の声がした。

「三組、立てるでしょうか」

 母は膝を押さえたまま、私にだけ聞こえる声で言った。

「息子選手、単独でゴールを目指してください」

「親子競技だろ」

 私は放送席へ駆け、委員からマイクを借りた。

「ただいま母選手、格好をつけて棄権しようとしています」

 会場が笑った。母は目を丸くした。

「しかし息子選手、これを拒否。理由は、二人で出た競技だからです」

 戻って肩を貸すと、母は小さく「実況するな」と言った。

 二人でびりのままゴールした。

「母選手、現在の気持ちは?」

 マイクを向けると、母は喉を押さえ、声を出さずに口だけ動かした。

 よく聞いていたから、分かった。

〈最高です〉

 それから家の実況は復活した。ただし母が長く話しすぎると、今度は私が割り込む。

「母選手、ドクターストップです」

「おっと、息子審判から注意が入りました」

 うるさい家だと思う。

 でも静かだった一週間を知ってから、私はもう、それを嫌いとは言わない。