遠足の卵焼き
唐沢田芙紀が十三歳の津雲直央を迎えて、最初の遠足が来た。
直央は児童養護施設からの里親委託で暮らし始めた少年で、芙紀のことを「唐沢田さん」と呼ぶ。芙紀も無理に呼び方を変えさせなかった。
遠足の前夜、学校からの紙を見て芙紀が訊いた。
「弁当、何がいい?」
「何でも」
「嫌いなものは?」
「特にない」
「好きなものは?」
「普通の」
答えが全部、輪郭のない雲のようだった。
芙紀は冷蔵庫から卵を出した。
「卵焼きは甘い方?」
「家による」
「この家では?」
直央は少し考えた。
「まだ分からない」
二人で作ることにした。
卵を三個割り、半分へ砂糖、半分へだし醤油を入れる。小さなフライパンで一種類ずつ焼いた。
芙紀の甘い方は、巻く途中で裂けた。直央のしょっぱい方は、焦げ目が濃くなった。
「どっちも店には出せないね」
「店じゃないし」
「弁当箱には出る」
「そこは入場審査が甘い」
直央が笑ったので、芙紀も笑った。
弁当箱へ、甘い卵焼き二切れ、しょっぱい卵焼き二切れ。唐揚げ、ミニトマト、塩むすび。
隙間へ枝豆を詰めると、何とか形になった。
翌朝、直央は弁当を鞄へ入れた。
「重くない?」
「普通」
「その普通は、いい普通?」
「たぶん」
玄関で靴を履き、少し間を置いて言った。
「行ってきます、唐沢田さん」
「行ってらっしゃい」
芙紀は呼び方より、その一言が家の中へ残ったことを大事にした。
夕方、直央は空の弁当箱を流しへ置いた。
「どっちがよかった?」
「両方」
「遠慮してる?」
「友達と交換した。甘いのが人気で、しょっぱいのは俺が食べた」
「じゃあ、この家の卵焼きは?」
直央は弁当箱を洗いながら答えた。
「二種類でいいんじゃない」
次の土曜、二人はまた卵を割った。
今度は一本の卵焼きの半分へ砂糖、もう半分へだしを入れようとして、味が混ざった。
「これは何味?」
「家味」
「雑だな」
直央は言いながら、焼きたての端をつまんだ。
台所には卵と油の温かな匂いが残った。
家族の味は、昔から決まっているものではない。
焦げた方と裂けた方を同じ弁当箱へ詰め、二人で少しずつ決めていくものだった。