金婚式の翌日に
両親の金婚式を祝う席で、父が立ち上がった。
「明日、離婚届を出します」
長男は箸を落とし、長女は冗談だと思って笑った。孫たちはケーキの火を吹き消す途中で止まった。
母は平然と茶を飲んでいる。
「五十年も一緒にいて、今さら?」
長男が言うと、母が答えた。
「今さらだからよ」
二人は長年、不仲を隠していたわけではない。旅行もしたし、病気のときは看病した。けれど父は海辺で暮らしたく、母は町の図書館で働き続けたかった。互いに相手の老後へ付き合うことを、愛情の義務だと思い始めていた。
「子どもが独立したら話すつもりだった」
「私たち、二十年前に独立してる」
「そのあと祖父母の介護があった。終わったら、今度は父さんの手術」
「じゃあ、ずっと我慢してたの?」
長女の問いに、父は首を振った。
「楽しい年もあった。我慢した年もあった。五十年全部を、失敗か成功かにまとめたくない」
子どもたちは納得しなかった。
「家族を壊すの?」
母はケーキを切りながら言った。
「夫婦を終えるの。親を辞めるとは言ってない」
翌日、本当に届を出した。
父は海辺の小さな町へ移り、母は同じ家に残った。最初の半年、長男は父へ会いに行かなかった。長女も母へ電話するたび、後悔していないか確かめた。
二人とも、以前よりよく眠るようになった。
父は朝から釣りへ行き、料理を覚えた。母は夜の読書会へ参加し、家じゅうの時計を自分の好きな位置へ移した。
次の正月、母の家へ全員が集まった。父も魚を一箱抱えて来た。
「元夫が台所へ勝手に入らないで」
「五十年使った台所だぞ」
「昨日から客です」
孫たちが笑った。
父は玄関へ戻り、改めて「お邪魔します」と言った。
食卓では、二人は向かいではなく斜めに座った。前より会話が続いた。
「また結婚するの?」
孫が聞くと、二人は同時に首を振った。
「もう十分」
「同感」
長男はようやく笑った。
家族は、同じ名字と家に閉じ込めておくものではなかった。
離れても誕生日を祝い、困れば連絡し、正月には客として扉を叩ける。
金婚式の翌日に終わったのは、五十年の家族ではなく、二人が無理をして演じていた夫婦の形だけだった。