金継ぎできない器

霞田奈絵と栂尾雅文は、古い器を直す店を二十六年営んだ。

割れた茶碗には漆を入れ、金を蒔く。

欠けた皿には似た土を足す。

客は傷が美しく変わるのを見て、「前より好きになりました」と笑った。

二人の夫婦生活にも、何度か大きなひびが入った。

店を畳むかで争った年。

子どもを持たないと決めた夜。

雅文が母の介護へ通い、奈絵が一人で店を守った冬。

そのたび話し合い、謝り、金継ぎのように関係を直した。

だから二人は、自分たちは壊れても直せる夫婦だと思っていた。

ある日、老婦人が一つの飯碗を持ち込んだ。

割れてはいない。

ただ、五十年使った縁が紙のように薄くなり、光へ透けていた。

「直せますか」

老婦人が訊く。

雅文は碗を回し、首を振った。

「割れなら継げます。欠けなら足せます。でも、使って減ったものは、元の厚さには戻せません」

奈絵はその言葉を聞きながら、自分たちの夕食を思った。

同じ卓につき、同じ味噌汁を飲み、必要なことだけ話す。

憎んではいない。

けれど相手の今日を知りたいと思う気持ちは、いつからか縁のように薄くなっていた。

閉店後、奈絵は雅文へ言った。

「私たちも、金継ぎはできないね」

雅文は何を指しているのか、すぐ分かった。

「ひびはないからな」

「大喧嘩でもしてたら、直す理由があったのに」

「嫌いになれたら、別れる理由も分かりやすかった」

二人は笑った。

長く一緒にいるうち、相手を傷つけない言葉だけが上手になった。

その上手さが、肝心な話をしないまま過ごす技術にもなっていた。

翌月、店を閉めることにした。

奈絵は妹の住む町へ移り、雅文は山間の工房で若い職人を教える。

最後の日、老婦人の飯碗を棚から下ろした。

修理代は受け取らず、使い続けるのは危険だと説明して返した。

「捨てたほうがいいですか」

老婦人が訊く。

奈絵は答えた。

「いいえ。使えなくても、使い切った時間は残ります」

その夜、二人は店の看板を外した。

婚姻届を出した日に買った湯呑みで、最後のお茶を飲む。

縁はやはり少し薄くなっていた。

割れなかった。

だから金色の跡も残らない。

それでも二十六年のあいだ、互いの手の中で使われ、温められ、少しずつ形を変えた。

二人はそれを失敗とは呼ばず、静かに卓へ戻して、別々の家へ帰った。