銀紙をひらく名前

矢来史帆は、洋菓子店「ルミエール」の棚から銀紙に包まれたレモンケーキを一つ取った。

店は商店街ができたころからあるらしく、壁には黄ばんだ菓子箱の見本が並んでいる。けれど史帆の目に留まったのは、銀紙の上へ貼られた白い帯だった。中央に製造者名、その下に小さく「お召し上がりになる方」と印刷され、空欄が残っている。

明日締切のイラスト公募に、史帆は男性名のペンネームで応募するつもりだった。仕事先で「女性らしい絵だね」と言われるたび、褒められたのか枠にはめられたのか分からなくなる。それで三年前から、性別の分かりにくい名前を使ってきた。今回の公募は、ずっと描きたかった連作だった。受賞歴が仮名に紐づけば、本名へ戻る機会はさらに遠くなる。それも分かっていた。

「ご進物ですか」

レジの店主が、薄い金色のリボンを手にした。

「自分で食べます」

店主は頷き、リボンを戻した。代わりに透明な小袋へ入れ、白い帯が隠れない位置で封をした。それから細い万年筆を差し出すでもなく、レジ横の筆立てへ戻した。空欄は空欄のままだった。

史帆は会計を済ませたあと、なぜかその場で銀紙を少し開いた。甘酸っぱい香りより先に、きめの細かな黄色い生地が見えた。包みの外側は古風でも、中身には名前がない。誰が食べても、味は味として残る。

「帯、剥がれませんか」

「召し上がるまでは大丈夫です」

店主は透明テープの端を爪で一度押さえた。隠さないための包装が、妙にきっぱりしていた。

外へ出ると、アーケードの柱に公募展のポスターが貼られていた。受賞者は会場で作品名と本名を掲示する、と注意書きがある。その一文を理由に応募をやめようとした夜もあった。

史帆はスマートフォンで応募フォームを開いた。作者名の欄から、長く使ったペンネームを消す。入力したのは、戸籍どおりの四文字だった。

送信後、白い帯の空欄へボールペンで「矢来史帆」と書いた。銀紙は指の熱でわずかに曇り、その名前だけが、店の灯りを細く返した。