鍋の席順をひとつずらす

 正月のすき焼きには、毎年「祖父の昔からの友人」が来た。

 玄関に近い端の席へ座り、肉を遠慮し、栗きんとんの前には帰る。私たちは〈先生〉と呼んでいたが、何の先生かは誰も知らなかった。

 今年、祖父が入院したことで、家族戸籍の古い写しが見つかった。

 先生は友人ではなく、祖父が結婚前にもうけた息子だった。

 退院祝いの鍋を囲みながら、父が重い声で言った。

「つまり、先生は僕の兄さん?」

「計算上は」

 先生が答えた。

「じゃあ私たちの叔父さん?」

「お年玉を十七年さかのぼって請求する気なら、他人です」

 孫たちは一斉に手を引っ込めた。

 祖母だけが平然と春菊を鍋へ入れた。

「私は最初から知ってましたよ」

「おばあちゃんまで?」

「結婚前に全部聞きました。隠したのは、この人です」

 箸の先が祖父を指した。

「家へ呼んでいたじゃないか」

「友人としてでしょう。息子と呼ぶ勇気がなかったくせに」

 祖父は小さくなった。

 先生は若いころ、自分の母から父の名を聞いた。会いに来たとき、祖父は家族へ紹介できず、代わりに毎年正月へ招いた。

「どうして帰るのが早かったの」

 私が尋ねると、先生は鍋を見た。

「皆が家族の話を始める前に帰る癖がついた」

 祖父が初めて顔を上げた。

「今年は栗きんとんまでいろ」

「命令する立場ですか」

「頼んでいる」

「四十年遅い」

「分かってる」

 祖母が先生の座布団を持ち上げ、祖父の隣へ移した。

「血縁が分かったから家族になるんじゃありません。分かったあと、どこへ座るか決めるんです」

 先生はしばらく立ったままだったが、やがて新しい席へ座った。

 父が肉を一枚よそった。

「兄さん、でいい?」

「試用期間にしてください」

「叔父さんは?」

「お年玉の額を見て決めます」

 鍋の空気がようやく緩んだ。

 食後、先生は初めて栗きんとんを食べた。

「甘すぎる」

 祖父が笑った。

「お前の母親もそう言ってた」

 先生は何も答えなかった。ただ帰り支度をやめ、もう一口食べた。

 隠されていた血は、四十年を埋めてはくれない。

 それでもその夜、玄関に近い席が一つ空き、鍋の真ん中へ箸が一本増えた。