鏡を外す日

久遠崎透花の部屋では、ベタの「朱印」だけが赤いものを隠さなかった。

透花は火傷の痕を髪で覆い、鏡へ布をかけていた。退院して半年、母は毎朝「少しずつ慣れよう」と言った。コンビニまで。学校の門まで。次は教室まで。

母が励ますほど、透花は自分が遅れている気がした。以前の自分へ戻れないことを、毎日採点されているようだった。

朱印の水槽には、小さな鏡が立ててあった。ひれを大きく広げる姿がきれいだからと、母が買ったものだ。朱印は鏡を見るたび、映った魚へ突進した。

「元気になったみたい」

母は喜んだが、数日後、朱印は餌を残し、底でじっとするようになった。

相談した熱帯魚店の店員は、すぐ鏡を外した。

「ずっと敵がいると思って疲れたんでしょう。慣れさせる必要はありません。逃げられない刺激なら、遠ざけるのも飼い主の仕事です」

母の手が止まった。

帰り道、母は透花へ謝った。

「学校も鏡と同じにしてた。戻ることばかり考えて、あなたが何を怖がってるか聞かなかった」

透花はすぐに許さなかった。ただ、初めて「門が怖いんじゃない。見られたあと、かわいそうな顔をされるのが怖い」と言えた。

二人は予定を作り直した。教室へ戻る前に、担任と話す。保健室から始める。つらい日は帰る。写真を断る権利も、説明しない権利も確認した。髪で隠すかどうかは、透花が決める。

朱印は三日後に餌を食べた。鏡がなくても、赤いひれは十分に広がった。

初めて保健室へ登校した日、透花は朱印の写真を机に置いた。会いに来た友人は傷のことを尋ねず、「この魚、怒るとドレスみたい」と言った。透花は久しぶりに、自分以外の話を一時間もした。

卒業アルバムの撮影日、透花は前髪を下ろして写真室へ入った。椅子へ座ってから、少し考え、自分で髪を耳へかけた。

傷を見せるためではない。隠さない強さを証明するためでもない。

今日は、そうしたかったからだ。

帰宅すると、母が水槽の前で待っていた。

「写真、どうだった?」

「撮り直し三回。目つぶった」

母が笑い、透花も笑った。

鏡を外してから、朱印はガラス越しの透花をよく見るようになった。たぶん魚には、傷も勇気も分からない。

ただ、近づいてくる人が敵ではないと知っている。

透花は水槽に映る自分を見た。

像は水で揺れていたが、もう直そうとは思わなかった。