鐘楼に落ちた天綿羊

王都の鐘楼に雷が落ちた夜、雲を駆ける聖獣が屋根を突き破って落ちてきた。

天綿羊。翼を持つ巨大な羊で、その鳴き声は嵐を呼ぶという。鐘守見習いのナギが階段を駆け上がると、先輩たちは踊り場で槍を構えたまま固まっていた。

「近づくな。翼を広げたら塔ごと吹き飛ぶぞ」

最上階では、真珠色の羊が鐘の下でもがいていた。翼をばたつかせるたび風が渦を巻き、古い梁がきしむ。

けれどナギには、風より先に焦げた油の臭いが分かった。

祭礼前、鐘の防錆に使った黒い油が床へこぼれていた。天綿羊の片翼はそこへ落ち、長い綿毛がべったり固まっている。羽ばたけないのに、逃げようとしているのだ。

「暴れてるんじゃない。翼が床に貼りついてる」

ナギは槍を押しのけ、ぬるま湯の桶と灰石鹸を運んだ。

羊は金色の瞳で睨み、喉を震わせる。雲が塔の外に集まり始めた。それでもナギは正面に立たず、視界の端からゆっくり膝をつく。

「鐘は鳴らさない。翼も切らない。洗わせて」

腰の小さな鈴を外して床に置く。音を怖がらせないためだ。

天綿羊は荒い息を吐いたあと、ほんの少し翼を伏せた。

ナギは固まった毛へ湯を含ませ、指先で油をほどいた。引っ張れば痛む。急がず、石鹸の泡を何度も替える。雷鳴が遠ざかるにつれ、黒かった綿毛が月明かりの色を取り戻していった。

翼の根元には擦り傷があり、ナギは自分の袖を裂いて巻いた。

「お腹も空いたでしょう」

弁当の豆パンを千切ると、羊は一切れずつ慎重に食べた。最後の一片を飲み込むと、雲の尾のような尻尾が一度だけ揺れる。

先輩が恐る恐る近づいた。

「神殿へ知らせる。捕縛具を――」

天綿羊は翼を開いた。全員が伏せたが、風は起きない。

代わりに羊はナギの前でごろんと横になり、無防備な腹を見せた。胸元の綿毛に青い鐘の印が灯り、同じ印がナギの鎖骨にも浮かぶ。

ナギが腹を撫でると、天綿羊は満足そうに鼻を鳴らした。

雲より軽そうに見えた体は、寄りかかられると驚くほどずっしりしている。膝を覆った綿毛の奥から、焼きたてのパンのような熱がゆっくり染みてきた。