閉店前のしおり
閉店まで十五分の古書店は、棚より段ボールのほうが多かった。
紬希は入口の鈴を鳴らし、紙袋から一冊の文庫本を出した。五年前、朔と付き合っていた頃に借りたものだ。別れ話の夜、返すのを忘れ、そのまま本棚の奥へ押し込んでいた。
「返しに来ただけ」
レジの向こうで、朔が本を受け取った。
「ずいぶん長い貸出期間だな」
「延滞金、取る?」
「店、今日で終わるから」
知っていた。商店街の告知で見たから来た。けれど、閉店する相手に「まだ好き」と言えば、失った店まで慰めようとしているように聞こえる。それだけは嫌だった。
五年前、朔は祖父の店を継ぐため、この町へ戻ると言った。紬希は出版社の仕事を辞められず、遠距離を選ぶ勇気もなく、きれいに別れた。どちらも間違っていなかったから、責める言葉も残らなかった。
「東京、戻るんだって?」
「来月から。書店員は続ける」
「よかった」
「何が?」
「返しに来ただけだから、質問しないで」
二度目は、自分でも不自然だった。
朔は文庫をぱらぱらめくり、途中で手を止めた。ページの間から、青い紙のしおりが落ちる。昔この店で使っていた、電話番号入りのしおりだった。番号はもう解約されている。
「これも返す?」
「それは……いらない」
「じゃあ捨てる」
「勝手にして」
外で商店街の閉店放送が流れた。あと五分。朔はレジの引き出しから油性ペンを出し、しおりの古い番号に一本線を引いた。
「新しいの、書いていい?」
紬希の胸の奥で、五年分の言い訳が一度に立ち上がった。店がなくなるから。東京に戻るから。懐かしいから。どれも本音の邪魔をした。
「返しに来ただけ」
三度目に言うと、朔はペンを置いた。
「分かった」
文庫もしおりも、紙袋へ戻される。
「じゃあ、持って帰って」
店内の照明が一列ずつ消えた。紬希は紙袋を抱え、扉の前まで歩いた。鈴に手をかけてから、戻る。
レジに置かれた油性ペンを取り、青いしおりの裏に自分の番号を書いた。
「返しに来ただけじゃない」
それ以上は言わず、しおりを文庫の同じページに挟んだ。朔がその本を紙袋へ戻さなかったので、紬希も取り上げなかった。