雀がついばむ梅粥

 朝六時半、粥屋「白雨」の最初の客は、いつも雀だった。

 裏庭の石臼に店主の八重が少しだけ米粒を置くと、茶色い群れが植木鉢の陰から降りてくる。その様子を、窓際の席で日向野しずくが眺めていた。

 しずくは絵本の挿絵を描いている。正確には、三週間、一枚も描けていない。

 編集者からのメールには「急がなくて大丈夫です」と書かれていた。その優しさが、かえって重かった。鉛筆を持つと、紙の白さが自分を責めているように思えた。

「梅粥、塩は薄めにしておきました」

 八重が土鍋を運んできた。蓋を開けると、やわらかな湯気の中に、梅干しの赤がひとつ浮かんでいる。刻んだ青紫蘇の香りが、眠っていた鼻を静かに起こした。

「食欲、ない顔ですね」

「顔に出ますか」

「顔じゃなくて、昨日も一昨日も、同じ頁を開いていたから」

 しずくの膝には、小さなスケッチブックがある。最初の頁だけが真っ白で、あとは見られないように閉じたままだ。

「描けないんです。前は、何を見ても形にしたくなったのに」

 八重は返事をせず、庭へ目をやった。

 一羽の雀が、米粒をくわえては落としている。くちばしの先が不器用で、何度も石臼をつついた。ほかの雀に横取りされても、また別の粒へ向かう。

「あの子、下手ですね」

 しずくが言うと、八重は笑った。

「でも朝ごはんにはなります」

「下手でも?」

「食べる方は、上手下手を考えませんから」

 しずくは梅干しを崩した。酸味が舌の奥をきゅっと縮め、そのあと米の甘さが広がった。粥は飲み込むたび、喉から胸へ細い温度を置いていく。

「絵も、朝ごはんみたいならいいのに」

「そうじゃないんですか」

 八重はごく自然に言った。

「誰かが今日を始めるために見るなら、一枚で足りるでしょう」

 しずくはスケッチブックを開いた。白い頁の隅に、丸い雀の腹を描く。線は震え、羽の向きもおかしかった。それでも、二本目の線は一本目より軽かった。

 雀が窓辺まで飛んできて、硝子越しに首を傾ける。

「似てないね」

 しずくが呟くと、雀は米粒をひとつ落とした。

 店を出る頃、空は淡い水色になっていた。八重は包みにした梅干しを一つ持たせてくれた。

 しずくの鞄の中では、描きかけの雀がまだ不格好なまま、湯気の匂いをまとっていた。