雀の降りる味噌網

 丹羽恒平は、取り壊し前の祖父の家で、錆びた焼き網を見つけた。

 庭の柿の木には雀が集まり、土間へ入る人間を遠巻きに見ている。祖父の惣吉が生きていた頃、冬の朝にはこの網で味噌焼きおにぎりを作った。表面は固く焦げ、中には刻んだ葱が入っていた。

 恒平はその家が売られたことを、長く許せずにいた。大学へ進むため町を出た自分に、祖父は何の相談もせず判を押した。「帰る場所くらい残しておいてくれ」と責めると、惣吉はただ「住まん家は冷える」と答えた。

 最後の片づけの日、恒平は土間へ七輪を出した。味噌に砂糖と酒を混ぜ、握った飯へ塗る。焼いてみても、記憶の匂いにならない。味噌は焦げるだけで、あの少し燻したような香りが出なかった。

 縁側に座っていた近所の老女が、網を見て言った。

「惣さん、最後に番茶を垂らしてたよ。煙が出るから、あんたが喜んだ」

 恒平は湯呑みの番茶を、熱い網の端へ一滴落とした。じゅっと音がして、淡い煙が立つ。雀が一斉に枝を離れた。

 その匂いだけで、祖父の節くれだった手と、寒い朝の膝掛けが戻ってきた。

 古い帳面には、家を売った年の支出が残っていた。学費、下宿の敷金、教科書代。恒平へ渡された金と同じ額だった。欄外には、小さく〈家は畳める。腹で覚えたもんは残る〉とある。

「先に言えよ」

 恒平は誰もいない土間へ呟いた。

 焼きおにぎりを割ると、葱の甘い湯気が出た。味噌の焦げは少し苦く、番茶の煙が鼻へ抜ける。完全に同じではない。それでも二個目を握る手は、さっきより迷わなかった。

 庭へ米粒を少し撒くと、雀が一羽ずつ戻ってきた。家は来月なくなる。けれど網は持ち帰ることにした。

 夕方の土間には、焦げ味噌と番茶の香りが薄く漂い、柱の冷たさまで、しばらく温まっているようだった。

 恒平は焼き網を新聞紙で包み、荷物の一番上へ置いた。新しい部屋には七輪を置けないが、小さな魚焼き器なら使える。次の冬、甥に番茶の煙を見せようと思った。帰る場所は建物だけではなく、誰かへ渡す手順の中にも作れる。