雨粒のメニュー
夕立は、紗英が喫茶店へ駆け込んだ直後に本降りになった。軒先を叩く雨は白く煙り、道路の向こう側を消してしまった。
濡れた制服の袖から水が落ちる。入口で立ち尽くしていると、店員の真鍋が古いタオルを差し出した。
「返さなくていいから。たぶん、また誰かが濡れてくるし」
窓際は雨漏りするらしく、紗英は奥の小さな席へ通された。木のテーブルには、長年カップを置いた丸い跡が幾つもある。メニューを開けば、クリームソーダ、ナポリタン、ホットケーキ。どの写真も少し色褪せていた。
財布には五百円玉が一枚。いちばん安いブレンドを頼むと、真鍋は厨房へ向かい、しばらくして琥珀色の液体と小さな銀の容器を運んできた。
「高校生には苦いかも」
ミルクを全部入れると、雲のような白が底から広がった。スプーンで一度だけ混ぜる。飲んでみれば、苦みのあとに少しだけ甘い香りが残る。
紗英は鞄から進路希望票を取り出した。雨に濡れた端が柔らかく波打っている。第一希望の欄は空白だった。母は地元の短大を勧め、担任は東京の大学を勧め、自分はどちらにも頷いてきた。
窓を流れる雨粒を目で追っていると、隣席の老婦人がメニューの裏へ指を滑らせていた。そこには小さな手書きで、「雨の日だけ、焼きプリン百円引き」とある。
老婦人はプリンを注文し、紗英にも聞こえる声で言った。
「晴れの日には選べないものもあるのね」
真鍋が運んだプリンから、焦がした砂糖の匂いがした。
雨はまだやまない。紗英は希望票の空欄に、初めて自分で選んだ学校名を書いた。インクは湿った紙にわずかに滲んだが、読めなくなるほどではなかった。
カップの底には、混ぜきらなかったミルクが白く残っていた。
会計をする頃、雨は細くなっていた。真鍋は濡れた希望票を紙袋に挟み、「これなら鞄の中で折れない」と渡した。借りたタオルには店の洗剤とコーヒーの匂いが移っている。紗英は返さなくていいと言われたそれを、次の雨の日まで大事に使おうと思った。