零時の目撃者
時計が零時を打ったとき、私は彼女の悲鳴を聞いた。
最初は猫かと思った。細く、短く、途中で布をかぶせたように途切れた声だった。私は寝室を出て、廊下の突き当たりにある彼女の部屋へ向かった。扉は半分開き、床には白い花瓶が割れていた。
そこまで書いて、私は鉛筆を置いた。
文章にすると、記憶は妙に平らになる。暗かった廊下も、裸足に刺さった花瓶の欠片も、紙の上では同じ太さの線だ。私は一行目から読み返し、「猫かと思った」を消した。余計な感想は、聞く人を迷わせる。
壁の時計は十一時四十七分で止まっていた。裏蓋は開き、電池が一本、食卓の端に転がっている。いつ外したのか思い出せない。零時の音だけは確かに聞いたのだから、時計のことは書かないでおく。
次の段落には、黒い影が裏口から逃げた、とある。背丈は私より少し高く、右足を引きずっていた。顔は見えなかった。帽子も、服の色も分からない。
「少し高く」を「同じくらい」に直す。見えなかったものを断言してはいけない。右足のことは残した。床を擦る音が、今も耳の奥にある。
向かいの椅子には、彼女の紅茶が置かれている。表面から細い湯気が立ち、受け皿がかすかに鳴った。私は振り向いたが、椅子には誰もいなかった。古い家は、誰も座っていない場所で音を立てる。
奥の部屋から鼻歌が聞こえた。彼女が皿を洗うときによく歌っていた旋律だ。同じ四小節が三度続き、急に止む。私は耳を澄ませたあと、思い出の中では音の順番も変わるものだ、と自分に言い聞かせた。
最後の段落を整える。
私は倒れている彼女に触れなかった。すぐ警察を呼んだ。凶器には心当たりがない。彼女に恨みを持つ人も知らない。その夜は早く寝るつもりだった。
「昨夜」と書いていた箇所を「その夜」に直す。時制が混ざると、真実まで嘘に見える。
携帯電話の表示が十一時五十九分に変わった。私は供述書になる予定の紙を胸ポケットへ入れ、食卓の包丁を取る。止まった時計の代わりに、設定しておいた鐘が零時を告げた。
今度の悲鳴は、一行目どおり、途中で途切れた。