電気代は世界一個分
狭間田春邑の仕事は、地下四階のサーバー室で赤いランプを緑に戻すことだった。そこに収められている仮想世界〈麦星〉を、彼は一度も見たことがない。
利用者が減り、会社は〈麦星〉の停止を決めた。月の電気代が三百万円。売上は二十七万円。会議では、世界一個が古いコピー機より簡単に廃棄欄へ移された。
停止前検査のため、春邑は初めて内部へ入った。草原の駅で、少女がひとり待っていた。
「保守員さんですか」
「どうして分かる」
「空を見る目が、住民と違うから」
少女は世界の端まで案内した。川はそこで直角に折れ、遠景は薄い板になっていた。彼女は板の向こうに何があるかを尋ねた。
春邑は「別の景色だ」と嘘をついた。
停止日は三日後だった。帰宅すると、娘から離婚後初めての連絡が来ていた。養育費が遅れている、と短く書かれていた。春邑の預金では、娘の学費か〈麦星〉一か月分の電気代、どちらかしか払えない。
娘と話さなくなったのは、春邑が仕事を理由に面会日を何度も断ったからだった。世界を守っているつもりで、目の前の一人を待たせていた。だから今回も、正義を言い訳にして金を使うのが怖かった。
彼は迷った末、娘へ電話した。事情を話すと、叱られると思った。
「その世界、何人いるの」
「四万二千」
「じゃあ、一人七十二円で一か月じゃん」
娘は配信サイトを立ち上げた。春邑が内部映像を映し、少女が世界の天気を報告した。寄付は初日で百万円を超えた。会社は無断配信を理由に春邑を解雇したが、世論に押され、サーバー譲渡だけは認めた。
半年後、〈麦星〉は市民共同運営になった。春邑は相変わらず赤いランプを緑に戻している。ただし今は、毎週日曜、娘と一緒に草原の駅へ行く。
少女は板の向こうに何があるか、もう尋ねない。春邑も、分かったふりをしなくなった。
代わりに三人で、まだ描かれていない景色を相談する。世界一個分の電気代は高い。けれど春邑は初めて、自分が誰かの明日を点けていると知った。