A面の残り六分
昭和六十三年、小針布由は東京の服飾学校へ進み、花房宗吾は故郷の映画館で映写技師になった。
二人は週に一度、カセットテープを送り合った。
A面には一週間の出来事、B面には相手に聴かせたい曲を録音する。
〈今日はミシン針を三本折りました〉
〈こちらは『ニュー・シネマ・パラダイス』が満員です〉
〈東京の雨は、人が多いぶん濡れた匂いがします〉
〈君のいない町は、音量を一つ下げたみたいだ〉
最初の一年、六十分テープでも足りなかった。
二年目には四十六分で余るようになった。
布由は夜間の縫製工場で働き始め、宗吾は支配人代理になった。録音する頃には疲れ、話したかったことを忘れていた。
〈今週は短くてごめん〉
〈無理しなくていい〉
宗吾の一言を、布由は「もう待っていない」と受け取った。
布由の短い返事を、宗吾は「話したくない」と受け取った。
それでもテープは途切れなかった。
月に一度、季節に一度。
内容は近況報告から天気の話へ変わった。
三年目の夏、布由から届いたテープには、A面に六分しか録音されていなかった。
〈元気です。学校は卒業しました。
今の会社で、しばらく東京に残ります。
そちらも体に気をつけて〉
残りは無音だった。
宗吾はB面も最後まで聴いたが、曲は入っていなかった。
彼は返事を録音した。
映画館の改装、母の腰痛、駅前にできた喫茶店。
最後に「会いに行ってもいいか」と言いかけ、停止ボタンを押した。
送らなかった。
布由も、次のテープを送らなかった。
別れの言葉がなかったので、宗吾はしばらく恋人のつもりでいた。
布由も、手紙を出していないだけだと思っていた。
けれど季節が二度変わる頃には、互いの誕生日さえ、何もしない日になった。
三十年後、閉館する映画館の倉庫で、宗吾はあの最後のテープを見つけた。
古いデッキへ入れる。
六分の声が終わる。
長い無音の向こうで、かすかな電車の発車ベルが鳴っていた。
布由は駅で録音していたらしい。
宗吾は耳を澄ませた。
呼びかけも、さよならもない。
ただ、乗るはずだったのか、見送っただけなのか分からない列車が、遠ざかっていく。
A面には、まだ二十四分も残っていた。
二人の恋も同じだった。
話せる時間がなくなったのではない。
何を話せば続けられるのか分からないまま、余白だけが増えていった。
宗吾は最後まで巻き戻さず、空回りするテープを聞いた。
別れは録音されていなかった。
だからこそ、どこで終わったのか、今も誰にも決められなかった。