『CCのない告発状』
昇格面談の机に、匿名メールの印刷が一枚置かれていた。
〈椎名匠は取引先へ商品券を配り、受注を買っている〉
営業部長の藤代真澄は、課長候補だった椎名へ静かに告げた。
「通報者保護のため詳細は言えない。今回の昇格は見送る」
人事の水城壱成だけが、紙を裏返した。
「これは匿名窓口から届いたものですか」
「当然だ」
「窓口経由なら、会社の定型文が末尾につきます。この紙には藤代部長のメール署名が薄く残っている」
藤代は、転送時に混ざったのだろうと答えた。水城はメール保存庫から原本を出した。表示上の差出人は〈告発者〉、CC欄は空白。しかし配送記録には、送信元が藤代の社用アカウントであること、送信直後に私用アドレスへ自動控えが送られたことが残っていた。
「アカウントを乗っ取られた」
「では、添付の領収書について伺います」
領収書は椎名が得意先の周年行事へ届けた品のものだった。経費申請には〈先方負担分を一時立替〉とあり、返金記録もある。匿名メールの画像だけは返金欄を切り落としていた。画像を作った端末は藤代のノートPC。作成時刻は先週金曜十八時四分だった。
その時刻の会議室予約も表示された。〈次期課長選考・事前相談〉。予約者は藤代、同席者はもう一人の候補者。添付メモには〈椎名の数字を倫理問題へ置換〉とあった。
藤代の声が硬くなる。
「仮説を書いただけだ」
椎名は初めて口を開いた。
「僕の商品券は三千円。もう一人の候補者の接待費は、同じ月に十二万円です。なぜ僕だけ匿名で告発されたんでしょう」
水城は昇格判定欄の〈見送り〉を消した。
「椎名さんを課長候補として承認します。藤代部長は選考委員から外れ、告発制度の悪用について調査対象とします」
会議室に同席していたもう一人の候補者は青ざめ、相談は藤代から持ちかけられただけだと証言した。予約添付の下書きには、通報が効かなければ評価コメントで落とす第二案まであった。水城はその場で選考記録を保全し、商品券を受け取った得意先にも返金済みの確認を取った。藤代が守ろうとした席は、もう誰の推薦にも使えなかった。
CCのない告発状は、送った本人だけを昇格名簿から外した。