九階会議室B
岬電材の査定面談で、生駒康臣は課長昇進の内示を待っていた。
今年の売上は部内一位。部下の面倒見も悪くない。五年前の入社時から口にしてきた「前職で十二人を率いた経験」も、管理職候補としての説得力になっていた。人事部長の井桁は、面談票の総合評価にすでに丸をつけている。管理職登用時に入社時経歴を再確認する新規程さえなければ、古い書類を探すこともなかった。
「前職では、営業課長代理だったんですね」
「実質は課長です。肩書だけ代理でした」
生駒はネクタイを整えた。何度も説明してきた経歴で、質問されることにも慣れていた。
「その前は?」
「新卒から一貫して法人営業です」
井桁の隣で、若い人事担当が古い画面を開いた。生駒は鼻で笑った。元データが失われたことを、誰よりよく知っている顔だった。
「入社時の履歴書なら、サーバー移行で消えたと聞きましたが」
「履歴書の保管フォルダは消えました」
井桁は言葉を区切り、九階会議室Bの予約記録を映した。「でも、面接官が予約に添付した資料は残っていました」
五年前の同じ部屋。予約名は〈第二新卒・未経験枠 生駒康臣〉。添付された履歴書には、前職の職種が「営業事務補助」、雇用形態が「半年契約」、管理経験は「なし」とある。ファイルの作成者も、生駒本人のメールアドレスだった。
「当時の人事が取り違えたんです」
「では、これは何でしょう」
現在の昇進申請書の更新履歴が続いた。昨夜二十三時十一分、生駒は経歴欄に「課長代理・部下十二名」と追記している。貼り付け元は、社内共有フォルダにある別社員の職務経歴書だった。人数も担当商品も一字一句同じだった。
生駒は腕を組んだ。「今の実績と昔の書類は関係ないでしょう」
井桁はしばらく黙っていた。売上の数字が本物であることも、部下が彼を慕っていることも知っていたからだ。
それでも、管理職が扱うのは数字だけではない。
井桁は面談票の丸を二本線で消し、赤字で一文を書いた。
「課長昇進の内示は、取り消します」