いつもの店は二軒あった

大網羽澄と志摩井典生は、最後の話し合いを金曜の夜に決めた。

〈七時、いつもの店で〉

それだけ送った。

二人にとって説明のいらない場所だと思っていた。

羽澄は駅裏の小さなカレー店へ行った。

初めてのデートで、典生が辛さを見栄で五倍にし、涙を流しながら完食した店だった。

付き合って四年、記念日には必ずそこへ戻った。

典生は川沿いのファミリーレストランへ行った。

初めて大喧嘩をしたあと、朝まで話し、二人で関係を続けると決めた店だった。

大事な話はいつも奥の窓際でしてきた。

その夜、落雷で町の通信障害が起きた。

羽澄の〈着いたよ〉も、典生の〈どの席?〉も送信待ちのまま止まった。

羽澄はカレーを二つ頼み、一つを冷ました。

典生はドリンクバーを二人分払い、窓際で氷が溶けるのを見ていた。

九時、二人とも店を出た。

通信が戻ったのは、深夜零時過ぎだった。

互いの端末へ、違う店の位置情報と写真が同時に届いた。

〈そこだったの?〉

〈そっちこそ〉

翌朝、二人は駅前のベンチで会った。

どちらの「いつもの店」でもない場所を選んだ。

「普通、最初のデートの店でしょう」

羽澄が言う。

「普通、大事な話をする店だろ」

「私たち、カレー店でだって大事な話したよ」

「辛さ五倍で何を話したか覚えてない」

「弱いなあ」

二人は笑った。

久しぶりに自然な笑いだった。

典生が二枚のレシートを並べた。

どちらも十九時三分。

羽澄のレシートにはカレー二皿。

典生のものにはドリンクバー二名分。

「二人とも、相手の席を用意してたんだね」

「場所だけ違った」

羽澄は、前夜何を話すつもりだったか訊いた。

典生は正直に答えた。

「ちゃんと別れようと思ってた」

「私は、もう一度やり直せないか訊くつもりだった」

言葉が止まった。

羽澄にとって「いつも」は、二人が始まった場所だった。

典生にとっては、関係を修理し続けた場所だった。

同じ四年間を過ごしながら、二人は別の記憶を中心に置いていた。

「昨夜、会えてたら?」

羽澄が訊く。

「羽澄の話を聞いて、迷ったと思う」

「今は?」

「違う店で待ってたことを知ったから、もう迷わない」

残酷だが、羽澄にも分かった。

連絡が行き違ったのではない。

二人の「いつも」が、とうに別々の場所を指していた。

レシートを一枚ずつ交換した。

羽澄はドリンクバーの紙を、典生はカレーの紙を受け取る。

「次は、店の名前まで書こう」

「次の人にはね」

「うん。次の人には」

ベンチを立ち、反対方向へ歩いた。

どちらの店にも、昨夜用意された空席が一つ残った。

二人が来なかった席ではない。

別々の記憶の中で、最後まで相手を待っていた席だった。