できない項目に丸を
【要介護認定・訪問調査記録】
対象者:折戸冴子、七十八歳
同席者:長男・英嗣
調査員:守部奈央
「今日は何月何日ですか」
冴子は年月日と曜日を正確に答えた。
英嗣はすぐ口を挟んだ。
「今日は偶然です。普段は季節も分かりません。認知は『できない』でお願いします」
「ご自分のお名前と住所は?」
冴子は本籍地まで答えた。
「昨日、何を食べましたか」
「何も。冷蔵庫に鍵を掛けられているから」
英嗣は笑った。
「食べたことを忘れているんです」
調査員が立ち上がり動作を確認しようとすると、英嗣は車椅子を押さえた。
「歩けません。転ぶと危険です」
「手すりにつかまって、少しだけ試せますか」
冴子は右脚を床へつき、ゆっくり立ち上がった。
左脚には新しいギプスが巻かれている。
「先週、転倒して骨折しました」
英嗣が説明した。
冴子は息を切らしながら言った。
「転んでいない。この子が――」
「被害妄想です」
英嗣は母親の肩へ手を置いた。冴子は痛みに顔をしかめ、黙った。
寝室の外側には鍵があり、窓には開閉防止具がついていた。
英嗣は徘徊防止だと説明した。
「夜間は一人でトイレへ行けますか」
「行けます」
「行けません」
二人の声が重なった。
調査員は廊下へ出たあと、英嗣へ追加で尋ねた。
「今回、区分変更を急ぐ理由は?」
「要介護度が上がれば、特別養護老人ホームへ早く申し込めます。母のためです」
冴子が寝室から叫んだ。
「家を売るためでしょう! 私は施設へ行かない!」
英嗣は扉を閉め、外から鍵を掛けた。
調査員は記録を持ち帰り、上司と相談することにした。
車へ戻ってから、録音機を切り忘れていたことに気づいた。
面談後の会話が残っていた。
『今日は名前も日付も言えたな』
『お願い。私は何でも一人でできる。もうやめて』
『立てないようにしたのに、右脚で立つとは思わなかったよ』
『左脚は、あなたが折ったんでしょう』
しばらく衣擦れの音が続いた。
『次の調査までに、できない項目を増やそう』
『何をするの』
英嗣の声は穏やかだった。
『左右をそろえるだけだよ。介護は、できないことを家族が手伝うものだから』
録音の最後に、工具箱を開ける金属音が入っていた。