はじめましての赤い糸
橋の下に一夜だけ現れる市場で、ティルザは赤い糸を選べずにいた。露店の天井から、細いもの、太いもの、金を混ぜたものが垂れている。どれも切れた縁を一度だけ結び直す糸だった。
「代金は、結び直す相手と出会った日の記憶」
糸売りの少女は、同じ説明を三度した。ティルザが三度とも手を引っ込めたからだ。
相手はモナ。七年続いた友人で、三日前から他人だった。
共同で開くはずだった菓子店の契約書を、ティルザは相談なく破った。モナの父が残した借金を知り、守るつもりで一人で決めた。けれどモナにとってそれは、夢より自分の判断を軽く扱われたということだった。
最後に言われた。
「あなたはいつも、私が選ぶ前に正解を決める」
謝罪の手紙は返ってきた。家の鍵も返ってきた。二人で育てていた酵母だけが、モナの台所に残った。
ティルザは最も細い糸に触れた。
出会った日は鮮明だった。パン職人の試験会場で、モナが塩と砂糖を取り違えた。ティルザは笑わず、自分の生地を半分渡した。二人とも落第したが、帰りに焦げた菓子を食べながら店を持とうと約束した。
あの日を失えば、モナがなぜ特別なのかを説明する最初の頁が抜ける。失敗する彼女を助けることが、いつしか彼女の選択まで奪う癖になったことも、きっと分からなくなる。
「糸を使えば、仲直りできますか」
「いいえ。話せる場所まで縁を戻すだけ。何を話すかは、お客さま次第」
それが気に入った。願いが答えまで用意しないところが、モナらしかった。
ティルザは銀貨の代わりに、試験会場でもらった古い受験札を台へ置いた。少女が赤い糸をその札に結ぶ。記憶が、焼きたての生地の匂いと一緒にほどけ始めた。
市場を出ると、橋のたもとにモナが立っていた。返したはずの鍵を握っている。
「話だけは聞く」
ティルザは頷いた。モナの目が赤い理由は分かった。けれど、彼女と初めて会った場所だけが、白い紙のように抜けていた。
モナが苦く笑う。
「また塩と砂糖を間違えた顔してる」
意味の分からない冗談だった。それでもティルザは、今度は先に答えを決めず、赤い糸の端を差し出した。