ひとつ多い湯気

祖母の一周忌に、三人きょうだいが実家へ集まった。

食卓には煮物、刺身、祖母の好きだった豆ご飯。

四人目の兄だけは来なかった。

相続の話で喧嘩し、半年間、誰も連絡していない。

皆、その名前を避けた。

「全員そろったね」

姉が言ったとき、食器棚から空の椀が一つ、ことりと落ちた。

割れなかったので食卓の端へ置くと、何も入っていない椀から湯気が立ち始めた。

窓を開けても消えない。

水を注いでも、湯気だけが白く上がる。

空の椀は、食卓で名前を避けられた家族がいると湯気を出すらしい。

「祖母じゃない?」

弟が言った。

湯気は変わらない。

「父さん?」

変わらない。

皆、答えを知っていた。

姉が兄の名を口にした。

湯気が一瞬だけ細くなったが、消えなかった。

「名前だけじゃ駄目なのかな」

妹が呟いた。

三人は兄の悪口を言い始めた。

頑固で、金の話ばかりし、祖母の介護も途中から来なくなった。

湯気はむしろ濃くなり、天井近くまで立ち上った。

しばらくして、弟が言った。

「兄さん、病院代を立て替えてたんだよ」

姉が箸を止めた。

妹は、兄が祖母の家を売ろうとした理由を思い出した。自分たちへ借金を残さないためだった。

やり方が乱暴で、説明が足りず、だから余計に腹が立った。

姉はスマートフォンを出した。

電話をかける勇気がなく、まず短い文章を送った。

「豆ご飯が余っています」

返事は来なかった。

空の椀の湯気も消えない。

三十分後、玄関が乱暴に開いた。

兄が息を切らし、

「食べ物で釣るな」

と言った。

誰も謝らなかった。

兄も謝らない。

ただ椀へ豆ご飯を盛り、空いていた席へ置いた。

湯気は、普通の豆ご飯の湯気へ変わった。

兄が一口食べると、完全に消えた。

相続の話はその夜もまとまらなかった。

途中でまた声を荒らげ、祖母なら全員追い出しただろうと笑った。

けれど、誰かの名前を会話から消すことだけはしなくなった。

空の椀は、食器棚のいちばん下にある。

家族が集まる日は、最初から一つ多く食卓へ出す。

来られない人、亡くなった人、まだ腹を立てている人。

名前を呼べる席を残しておけば、家族は完全には欠けないと知ったからだ。