アンカーは振り返らない
私は写真部なのに、体育祭の日だけカメラを置いた。
クラス対抗リレーのアンカーに選ばれたからだ。走るのは得意でも、人に見られるのは苦手だった。レンズの後ろなら平気なのに、白線の上では全員の視線が刺さる。写真部の仲間は望遠レンズを貸すと言ってくれたが、自分の走る姿だけは、できれば世界のどこにも残したくなかった。
招集場所へ向かうと、朔が私のカメラを首から下げて待っていた。
「これ、借りる」
「落としたら弁償だから」
「お前のゴール、撮る」
「やめて。絶対ひどい顔になる」
「じゃあ、ひどい顔になるくらい走れ」
いつもの調子で言われ、腹が立ったおかげで緊張が少し薄れた。
バトンは二位で来た。先頭とは十メートル。歓声の中から、シャッター音だけを探した。聞こえるはずがないのに、朔が撮っていると思うと背筋が伸びた。
最終コーナーで追いついた。並んだ相手がこちらを見る。私は見なかった。アンカーは振り返らない。前だけを見る。ゴールテープの向こうに、カメラを構えた朔がいる。
最後の一歩で身体を投げた。地面へ手をついた瞬間にもシャッターが切れた気がして、私は痛いより先に、撮るな、と心の中で叫んだ。
同着だった。
判定を待つ間、私は膝に手をついて吐きそうになっていた。朔が寄ってきて、液晶を見せる。
写っていたのはゴールの瞬間ではない。走り出す直前、バトンを待ちながら、私が一人で目を閉じている写真だった。
「なんでそこ」
「ゴールは速すぎて、ぶれた」
「写真部失格」
「でも、こっちは撮れた」
写真の中の私は、怖そうではなかった。唇を結び、前の走者だけを見ていた。自分では知らない顔だった。
判定が出た。胸ひとつ分、うちの勝ち。
クラスが沸き、みんなが私を胴上げしようと集まってくる。私は逃げる前に、朔の肩を一度だけ叩いた。
「その写真、消さないで」
「ひどい顔じゃないから?」
「ううん。振り返ってないから」
後日焼き増しした一枚は、今も机の引き出しにある。
そこには勝った瞬間ではなく、まだ何者にもなっていない私が、走り出す直前だけ写っている。